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■2018/10/07 『ふと気が付くと』
 あらゆるものが僕に何かを言おうとしている。僕は立ち止まる。辺りを見回す。空を見上げる。地面に目を落とす。立ち尽くす。世界は何も言わない。あらゆるものはいつまでも沈黙している。しばらくそうして無様に凍り付いた後で、僕はまた歩き始める。どこか遠くで小鳥が鳴いている。僕が転げまわり張り上げてきた幾億もの叫び声は、血みどろの世迷言は、そんな小さな鳥の声よりも遥かに脆弱で、耳障りなものなのだろう。ふと世界の音に耳を澄ますとき、世界は一斉に押し黙り、僕が僕でしかなく僕が僕である限り夥しい空と海をいくら越えたところで僕であることを超えることはできないのだということを教える。そして、僕が僕であることにはなにも意味はないのだと。僕はそのことを嬉しく思う。

 不意に溢れ出す涙に戸惑うことはもう無くなってしまった。無くなってしまったことを数えることももうやめてしまった。音楽が静かに流れるように、自然であるということを自然のまま、受け止めては取りこぼすことができるようになって久しかった。道々の端々の諸々の精々を滔々と往々に早々に軽々として諦めたまま、確かに僕は大人になり、中年になり、悟り切ることもできず、ふやけた笑いを頬に張り付けたまま、酒を飲みこんではますます世界を遠ざけた。あらゆるものが僕に何かを言おうとしている。僕は利き耳を澄ます。世界は沈黙する。いや、そうではない。世界はいつでも語り掛けてくれているのだ。僕にそれを聞くための耳も覚悟も愛も不足しているだけのことなのだ。愛が不足している子供たちがどれほど傷つけられ、損なわれ、歪に曲がっていくかを嫌というほど目にしたはずなのに、助けられもせず、ただ見ているだけの無力な手をあれほど憎んだのに、僕は、ただ立ち尽くしているだけの、当たり障りなくどこにでもいる見慣れ切った醜い人間だ。

 小鳥が鳴いている。秋が来た。にぎやかな田園はやがて静まり返る。僕は世界に目をやる。世界はそこにある。僕が生まれる前から、僕が死んだ後でも。不在の後、静かな世界が続いていくことに、どうしてだろう、深い喜びを覚えてやまない。
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