log 2009
■2009/02/22 『陽光、二月。』
 今なら忘れられるかもしれない。目前の夜の遠さに触れてみたいと、手を伸ばし続けていたかつての日々を。先なんて見えなくて、誰も信じられなくて、自分が傷ついているのか、それとも傷つけているのかも分からなかった。今なら忘れられるかもしれない。何度でも繰り返しそう言い聞かせる。本当に忘れられるまで。
 僕に必要なものはなんだろう。物語を書くことにはもう拘りが無い。誰かの命を救う仕事にも憧れない。詩を書く気持ちにもなれない。書くための焦燥が無い。人に会いたいとも思わない。会いたい人がいない。僕の中で確かに幾つものことが終わってしまったのだ。こんな眩しすぎる二月の午後の中で、そっと去ろうとしている冬のような滑らかさで。取るものもとりあえず夜汽車に飛び乗ったいつかの僕は、既に死んだのだろう。汽笛の残響も既に薄れてしまった。見慣れた駅を降りたけれど、そこから動けないままどうしてもあの人のいる場所へ踏み込むことのできなかった僕は、確かにその日からゆっくりと死んだのだろう。
 削れるだけ削り続けてみたら、何も残らなかった。できの悪いジョークみたいだね。ああ冬が終わろうとしている。今年はあの雪に触れてみようとさえしなかった。陽射しが眩しいから目を閉じてもいいような気がしている。しばらくそうした後で、ほんの少しだけ開けて見た世界は、忘れえない記憶に似た面影を映し、ぼやけて、揺れた。

■2009/04/27 『春が来て』
 春が来て、僕はひとりぼっち。こっそりと迎えた、幾度目かもしれない誕生日は、やはり今年も僕に未来を思わせることはしなかった。過去ばかりが降り積もり、益々重くなっていく両肩を、軽く揉む振りをしてみたら、どうにも笑えてしょうがなくなる。
 僕には分からない。自分が何が欲しいのか。やはり今年も理解することは無いだろう。例年にも増してあっという間に散ってしまった桜の花が、僕の今の心境に副いすぎていてかえって悲しい。僕には分からない。花が散ったばかりの桜の木が、どうして治り始めたばかりの傷のかさぶたのような色をしているのか。僕にはどうしても分からない。春を言い訳にして、本当はどこに行ってしまいたいのか。
 今月から行くことになった職場へ、僕は毎朝自転車で通っている。のんびりと、20分ほどかけて川沿いの道を走る。菜の花は土手一面に咲き誇り、僕は、病める昼の月を無意識に探す。春が来て、僕は一人ぼっち。幾度目かの誕生日の朝も、僕は「ひるのつき」を探して、空ばかり見ていた。歯を食いしばってなんかいない。涙をこらえてなんか無い。何か、消えそうな、幻想めいた夢のひとかけらを探していただけだ。これまでも、ずっとそうしてきたように。これからも、きっとそうしていくように。

■2009/05/24 『寝付かれない夜に』
 酒でも呷れれば、とも思ったが、昨日酷い目にあったばかりなのを思い出す。ここのところ酒の席での失敗が増えてきているのを実感する。今はまだ何とかなっている。でも来年はどうなっているか分からない。いっそ、酒そのものを断ってしまえばいいのだろうかとも思う。しかしながら毎度そんな考えはすぐにでも放棄されるのだ。僕の人生にとって、飲酒という行為は娯楽の中の上位に位置している。あんなに好きだった煙草をやめてしまった今では、殆ど唯一と言ってもいい大人の趣味だ。それならばどうするか。酒との距離感を測っていこうと思う。
 こんな風につらつらと、今更どうでもいいようなことに頭が行くのも、今日が寝付かれない夜だからだ。外は昼間の強風が嘘のように静かで、何も息づいていないようにさえ感じる。部屋の中では何時間も前からピアノの旋律がためらいがちにコンポより吐き出されているけど、それさえも時間の流れを希薄にさせる。延々とループするCDはもう何周したのだろうか。
 寝付かれない夜に。昔のことを思い出すのは意識的に避けてみよう。でも、その途端に何だか少しだけ寂しい気持ちになる。「昔のこと」を考えなくなった頭は変に真っ白になってしまって、僕の現在と、そして未来が、いかに空白であるかを思い知らせるのだ。最近、苦笑にもすっかりと飽きてしまった僕はぼんやりと天井を見上げているしかない。
 空に星は出ているのか。見上げても晩春の天は霞がかっていて、僕のどうしようもない頭を更に靄で覆い尽くしていく。

■2009/06/07 『折れた翼なら』
 なんていうことも無い、曇り空に見下ろされる六月の日曜日。人影もまばらな午後の中をあても何もなく歩く僕の道の先に、羽を重そうに引きずりながらヨタヨタと歩いていくカラスがいて。
 時折翼を広げて羽ばたいてみても、その大きな翼は醜く折れ曲がっていた。
 『飛べない翼にどんな意味があるのだろう』。これはいつかどこかで聞いた格好良い台詞だ。初めてその言葉を聞いた時と同じように、いや、僕は今こそ改めて全力で唾棄しよう。
 僕の道の先で翼が折れた鳥が幾度も羽ばたく。最早用を成さなくなった翼はその肩にあまりに重いのか。身体は自重を支えきれずに幾度もよろめく。僕は見つめるだけ。胸を押さえて見つめるだけ。時間が切り裂かれる。痛くて触りたくないどころか、思い出したくも無いような場所から搾り出されてくるかのような、湧き上がる何かを無理やりに抑える。
 折れた翼なら。折れた翼でも僕たちは飛べるだろうか。折れた翼でも飛ぶ意味はあるのだろうか。きっとあるのだ。僕はもうどうしようもない、鈍った頭を抱えて、必死にそれだけを願う。全力で、全身全霊で希う。

■2009/07/01 『空白と七月の雨』
 ふと死ぬことを考えていることに気づく雨の夜。苦笑と共に飲み込むのは、日常の中で確かに削り取られ、目に見えて磨り減っていく曰く言いがたい力の残滓だ。それは口内に何だかいつまでも残っているようで、どうにも苦い後味だ。
 空虚、を。埋める努力を完全に放棄したのはいつの事だったろう。ああ、正確には『放棄』、では無いのかもしれない。それはいつしか手持ちの札から無くなっていた。跡形も無く、とは、まだ言えない。この苦味を忘れられるまでは、細かな小骨のようにしつこく刺さり続けるのだ。どこに? 恐らく、心とやらに。
 先日買ってきたばかりの安いウィスキーはもう無くなってしまったよ。臭いばかりのあんな液体でも、無くなれば涙を堪えられない。誰か僕の心を完全に殺してくれるものはないか。眠りに落ちるようにそっと静かに確かに殺してくれるものはないか。誰の笑顔も今の僕にはわずらわしいばかりだ。涙も、断末魔も。梅雨空の果てにはやがて突き抜けるような夏空が待っているだろう。七月の空に僕は例年と変わらずいつまでも時間を奪われ、微笑んですらしまうだろう。いつまでも降り続く今の雨の先に、何かを、何もかもを期待して、空白を誤魔化せるような気すらして、やがて来る秋や冬や春やそのずっとずっと先の苦痛を見ない振りする。
 空白を、まだ埋められない。埋める為に何をしたらいいのか分らない。埋める必要性があるのかどうかも分らなくなりつつある。苦味がまだ残っていることにだけすがり付いている。安くて嫌なにおいのするウィスキーをまた買ってこよう。氷を溶かしながら薄らいでいく琥珀色の液体が、七月の雨に埋没したら、僕は今日も膝を抱えて眠るのだ。胸元から、一番無くしたくないものを奪われてしまうことに怯えながら、膝を抱えて眠るのだ。

■2009/07/22 『でかい音で』
 アベフトシが死んじまった。ただただ悲しい。でかい音でRock'n Rollを聞きながら酒ばかりを飲みたくなる。どうしようもない。あの世でもFree Devil Jamするんだろうか。尖がった音でむっつりと押し黙りながら。地獄の鬼もロックされるに違いない。打ちのめされて、快感に打ち震えるに違いない。かつての俺がそうだったように。
 七月の終わり。今日は朝から沈鬱な曇り空。降ったりやんだりの雨に、最近心まで腐らせそうな俺もまた消えてなくなってしまいそうだった。28の初夏。気づけば28の初夏。遠雷みたいなギターが、ウィスキーを飲みすぎて重苦しくなってきた頭の中で響き渡る。何だか手の周りのものが全部遠ざかって行ってしまったかのような、ここ数年のどうしようもなさを、遠くから激しい嵐を伴ってやってくるギターの音が、少しだけ壊す。ガンガンに、頭蓋骨を揺らして。
 グラスを満たすウィスキーロックはこれで6杯目だ。まだまだ酔いが足りない。肴はとうの昔に尽きてしまった。手持ち無沙汰の慰みに、ギターを手にとって掻き鳴らす。

■2009/08/03 『少し、負けそうだ。少しだけ。』
 優しかった彼女が心を狂わせて飛び降り自殺したのが、今からたった2年前のことだ。僕に女性の醜さと心地よさを教えてくれたあの女が手首を切って冷たくなってしまったのが7年前のことで、僕に人の愛し方を教えてくれた人がODで死んでしまったのは9年前のことになる。首を吊った心優しいバンドマンの彼との最期の会話は確か3年前だったか。ついでに言うと、僕が最初に自殺を図った時からは早21年が過ぎていた。
 失ったものの温度も、匂いも。僕にはあんまり遠すぎて、まるで永遠の彼方の事のように感じる。夢物語のようにさえ感じることもある。今夜みたいな、記録的な冷夏に覆われた8月の音の無い夜に、買ってきたばかりのホワイト&マッカイを呷れば、呷るほどに、呷らずにはいられないほどに、それは顕著になっていく。
 みんな死んじまった。僕の心も既に死に掛けているようだ。脆弱な精神の持ち主としては、なかなかもったほうなんじゃないかとぼんやり考えていたりもする。こんな、虫の声も聞こえないどうしようもない8月の夜に、夏影を求める気にもなれず、青空は望むべくも無く、罵倒の言葉も、自嘲めいた泣き言ですらも浮かばず、ただただ重く鈍くなっていく脳を麻痺させることに努めるのだ。
 ほら、少しく遠い場所からかすかなる声が聞こえるような気がする。身体に力が入らないから、身を横たえたまま、少しくこうべを持ち上げてそれを聞く。遠くになり、近くになりしながら、懐かしい声は、しかし終ぞ僕の名前を呼ぶことも無く、もう届きはしないいつかの夏の日差しの中で、焼き尽くされる。

■2009/09/07 『かへり見れども』
 忘れられた歌を僕は覚えていよう。時々口ずさんではぼんやりとかぶりを振っていよう。時間は経っている。間違いなく。速やかに。迷い無く。物事は移り変わっていく。自明すぎて眩暈がする。
 忘れられた歌を歌おうとして、ふと口ごもってしまった。そんな日があってもいい。そんな日が許されてもいい。こんな、夏の終わりそうな夕闇の風の中で。
 リサイクルショップのジャンクコーナーに転がっていた、980円のwebカメラを繋いでみた。酷く映像がぶれるその画質の中で、初めて自分のギターを弾く姿を録画した。同時に録った真新しいギターバラードはどこか力なく、訥々とした独り言のような音を吐き出している。僕は苦笑した。
 かへり見れども。何もかもから遠ざかっても。幾たびもかへり見れども。時折、声が漏れてしまっても。
 僕は、まだここにいる。

■2009/10/15 『十五年』
 別になんでもない十月の半ばだ。昨日、敬愛するバンドが十五年振りにアルバムを出してくれた。やはり往年とは随分趣きの違うその音は、残念ながら僕を在りし日へとは誘ってくれなかった。十五年というリアルな数字を高々と掲げ上げられてしまったようで、苦笑するほか無い。
 十五年前。僕は中学一年生で、ありとあらゆる明るい未来を、何一つ信じていなかった。それは今も変わっていない。寸毫たりとも変わっていない。ただ目前を漠然と過ぎていくだけの今日があり、降り積もっていく過去が、やがて重みを増していくのだろうという事を、静かに見つめていた。更に、やがてはそんな重さなんてどうでも良くなってしまうであろう事も、既に悟ってしまっていた。だから、と言ってしまって良いのか分らないけれど、僕の「今日」を慰めるものは何であろうとも強く執着し、深く深く愛し続けた。
 十五年前の音からはかけ離れた新しい音源を聞く。僕はあの頃ギターさえ手に入れていなかった。なんでもない十月の半ば、思いがけず暖かな午後に、僕は、届いたばかりのCDを聞きながら、どうしようもない気持ちで六弦を掻き鳴らし続ける。自分をどうすることも出来ないのも全く変わっていない。ただ、衝動だけがある。

■2009/11/01 『言葉は波に侵されたまま』
 言葉を空費して。本当に伝えたいことも結局見つからないまま、やがて黙り込んだ。もう喋る気力はあんまり残っていないようだ。ただの経年変化だ、大人になったんだよ、なんて開き直ってはみたけれども、僕を心配そうに見るかつての友の表情は、最後まで晴れることは無かった。ああ、それにしても、大人になったんだ、なんて言葉を苦笑交じりで放言するなんて、全く酷い冗談だね。
 夢、という言葉を、あんまり耳にしなくなったのはいつの事だったろう。ずっと子供のままでいよう、と、最後に約束したのは、あれはどんな季節の、どんな夕焼けの中の事だったのだろう。時折、奇妙なほどに、海を見に行きたくなる。田園地帯で育った自分にはあんまり縁が無いはずのそんな空虚を求めるのは、やはり一つの逃避なんだろうか。空に溶ける水平線の向こうに、今まで終ぞ見えやしなかった夢なんてものがあるような気がして。そう思わなくちゃいけないような気がして。
 これは長い長い独り言。無意味な思考は、すっかり億劫になった会話やコミュニケーションとは裏腹に、延々と駄々漏れ続ける。
 そういえば随分前に君にメールを打った。返事はまだ来ない。波のように飽かず何度も立ち上がっては消えていくメーラーが、淀む視界にぼんやりと映る。海に行きたい。外は風。これから嵐になるらしい。海に行きたい。

■2009/11/30 『歌を忘れて』
 あの事がもう既に五年前の事なんだと気づいて愕然とする。とすると、アレはもう四年前ということだし、コレに至っては何と十年近くの時が経っているということになる。記憶が日々曖昧になって行くのをどうすることも出来ず、ただただ静かな恐怖に耐え続けるだけの日々。今日で十一月も終わり。後一ヶ月で何とゼロ年代も終わってしまうのだという。
 九十年代がそのまま十代だった僕のようなものからすると、ゼロ年代は何だか手ごたえが無いまま通り過ぎようとしている余りに新しい年月だ。いや、懐古はこのくらいにしておこう。幾らぼんやりと過ごして来たと弁明したところで、僕もまた十年分の年齢を確かに重ねているのだ。
 歌を忘れて。言葉も置き去りにして。僕は、新しい年を迎える覚悟も無いまま。十年前の僕よ、見ているかい? バンドにレコーディングにと走り回った日々の間にすら殆ど増えやしなかった音楽機材は、今年になって急増してしまったよ。無様に膨れた俺を笑うかい? いいや、きっとどうでも良いと吐き捨てるんだろうな。
 お手軽な幸せがどんどん息苦しく感じてきてどうしようもない今日この頃だ。破滅願望という名前の初期衝動はどうやらまだ薄れてはくれていないようだ。歌を忘れて。歌を忘れたカナリアは死ぬしかないのかもしれない。でも僕は心から残念なことにカナリアなんかじゃない。醜い醜い表情と、声で、歌を忘れてガナり散らす。ああ、あああ! 十数年よ砕け散れ。砕け散って僕を飲み込め!


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