log 2011
■2011/01/27 『車輪』
 回る車輪を見ていた。どこにもいけずに戻ってくる真円は、落ち着く間もなくまた放り出されて行く。数年前に寄ってたかって心を殺された僕の父は、もしかしたらこんな気持ちだったのかもしれない。重苦しい円環の下、声も無く押し潰されて。
 頭を覆う酷い倦怠感は、眠りの中に塗り潰してしまおう。そうすればするほど鈍感になっていく現実感に、たった一つ残った祈りを擦り付けては、ほら、僕の足は間もなく踏み外しそうだ。淵まで行ってへたり込む。覗き込む為のもう一手がどうにも指せず、飛び込むことも、逃げ転がることも億劫で、にっちもさっちもいかないのだ。僕は底を見極めたいのだが、生憎だくだくと流れ込む底無し沼は死人の瞳の様に濁っていて、どんなアイロニーもコメンタリーですらも、当たりのないクジ宜しく無表情で拾われていくばかり。
 上に何も積み込めなくても車輪はここで回っていていいの? これ以上何も積み上げられなくても僕はここで絡まっていていいの? どこにも行けないんだ。いや、転がり続けていればやがて何処かには辿り着けるはずだ。でも転がり続けることは出来ないんだ。僕の車軸は折れ曲がり、萎え果て、上向かず、ドロリとした断末魔にただひたすらの諦念を、ただひたすらに諦念の絶唱を、車輪に轢き潰されて、ただひたすらに!
 父の面影に僕は歌おう。遠い憧憬に僕は歌おう。ああ、歌おうとして、歌おうとしているのに。息苦しい嗚咽ばかりが溢れ漏れ、やがて僕は溺れる。重苦しい車輪の下、重苦しい吐息の下で。

■2011/02/27 『君に会う』
 またいつか、夢の中で会えるよ。そんな、子供騙しみたいな言葉を君が囁いて、微笑んだのはいつの事だっただろう。病の中の悲しく白く少しだけ肌寒い部屋の中で、字面だけは奇妙に明るい約束をした時、僕はまぎれも無く大人になり、同時に人間としての真っ当さを終えた。部屋を満たす薄甘い香りがどこか非現実的で、僕はそれが枕元に馬鹿げて優美な風情で飾られた蘭の、グロテスクな美しさによって発せられる物だと気づいていた。気づいていて、どうしようもなかった。ただあの大きな花弁が、この人の目前で枯れ果て、散り失せる事の無いように愚直に祈るしかなかった。無様な嗚咽の陰で。
 消えていこうとする物に伸ばす手が既にどうしようもないほどボロボロに傷ついているのはとうに気づいていたけど、それでもひたすらに求め続けるしか、僕には成せる事も無かった。転げ周り叫び散らす無様な僕に、きっと望まれていることはたった一つしかないことは分っていたし、事実、その一つだけがどうやら僕にとって完遂できる唯一の物寂しい最後の挨拶だっていうことは、もう痛いほど知っていたけど。
 夢の中、とは、どこの未来だろうか。どこの幻想で、どこの原野なのだろうか。包み込まれて眠る幼子のように、僕もまた柔らかな何かを期待して、指をしゃぶり、時折むずがって甘え、忘れて、徹底的に忘れたふりをして、何も判らないような気になって、頭の中のぐしゃぐしゃや胸の中のぐるぐるや、胃の中の重金属や、末端を覆う寂とした冷たさを振り払い、一片の塵も残さず消えてしまいたかったのに。
 夢の中で君に会う。ねえ、僕は先日、とうとう海を越えたよ。海の中に潜ってさえみせたよ。独りのホテルで広大なベッドに横になる時、耳朶に残るような潮騒や、胎内にいた時のような大海の絶え間ない優しい揺り返しの名残りにそっと溺れて、目を閉じてはひたすらに夢が、君が来ることを願った。テレビからは知らない異国の言葉が、世界の異変を口角泡を飛ばして絶叫していて、炎と暴力と血液が液晶画面をひたすら満たしていて、こんな情景を君に見せずに済んでよかっただなんて、埒もないことを考えては、頭までシーツに包まって静寂に怯えたよ。
 君に会う。僕は、まだまだその痛さに怯えている。間もなく冬が終わる。また冬が終わる。やがて春が来たら、これまでがそうであったように、また少しだけ俯いた顔を上げられるだろうか。上手に上げられるだろうか。間もなく訪れる春の中で僕は何と三十になるらしい。出来の悪い冗談みたいな現実だね。衰えていく身体を、それでもとても醒めた目で見ていられるのは、きっと、ああ、僕が、ああきっと、僕を覆うこの倦怠感と、長い付き合いになってしまった非現実感のなせる業なのかもしれない。
 二月も終わる。間もなく花も咲くだろう。それは、君の側で君を見下ろしていた、あの握り潰してやりたくなるほど傲慢な花じゃないんだ。きっとそうに違いないんだ。待ち侘びて暮らそう。時折振り仰ごう。何度でも何度でも振り仰ごう。何時まででも見つめていよう。優しい歌を歌いながら待とう。いつか夢の中で、もし本当に君にまた会えるなら、どうか、そのうてなの下で。

■2011/03/21 『揺れ続けて』
 いつの間にかあの巨大な地震から10日経っていて、その事に素直に驚いている自分がいて。僕は、この未曾有の大惨事の当事者でありながら、何も語る言葉が無いことに気付いた。いつの間にか、いや、もう本当はしばらく前から分っていたことだけど、既に僕は本質的に物書きではなくなっているんだろう。
 あれから数日、毎晩光の無い地上から空を見た。これほど暗く、明るい故郷の夜空を僕は知らなかった。知ることがあるとは思わなかった。しかしその事実は、音の無い夜と波長を同じくするように僕の中で響きはしなかったらしい。
 僕を揺らす物は年々目に見えて磨り減っていくようだ。これが静謐を望み続けたその結果であるというのなら、甘んじて享けてしまおうと思うのだけれども、どうしてだろう、どこかで納得できていない自分がいる。時間が過ぎて零れ落ちていった何かが、本当に何だったのかを思い出せなくなったことにどうやら気付いてしまったらしい。僕は失っていきたかったのだ。失っていかされたかった訳ではないのだ。
 あまりに強大な力で沢山の物を奪っていった大災害を、ようやく来た電気の下でぼんやりとテレビを通して見つめ続けているけれども、これを受け止めてしまえるほど、僕の中の空白は茫漠とはしていないようだ。失っていかされた数限りない人のことを思うと、何だか頭の隅が濁る。僕に残された幾つかの言葉では、その汚泥を最早切り出し得ないようだけれども、だからこそなのか、何だか大声で誰彼構わずに泣き叫んで回りたいような、小さくて固い心持ちだ。
 あっちへ、こっちへと揺れ続けて僕は間もなく三十になる。間もなく、どうしようもなくなる。ああでも、水を求めて俯いたまま歩いた酷く狭い視界の端に、いつの間にかオオイヌノフグリが風に吹かれて揺れていた。それを照らす日差しは驚くべきことに既に春の装いを纏っている様でもあって、僕は無様に混乱し、脱力し、膝が砕け、口角は緩み、声にならない声で空を仰いだ。海の方で空は黒く燃えていた。鳴り止まないサイレンの彼方、遠い山の方で残雪はまだ白くへばりついていた。頭上で絶え間なく唸るヘリの合間から春が何かを待ちわびていた。地上で僕はやっと泣けた。情けなくふらつく心の底のヘドロを、やっと搾り出すことが出来た。
 どうしようもない事を、どうしようもなくなくしてみよう。手元に無い物を手繰り寄せて、それでも遠ければ自転車で汲みに行こう。明かりは、朝になればきっと大丈夫。冷たい手は、春になればきっと大丈夫。言葉未満の声は、どうしてやろう。僕は、間もなく本当に三十になってしまう。僕は、間もなく本当に春になる。僕は、まだ本当に生きている。生きて、揺れ続けているのだ。

■2011/04/30 『空ばかりを』
 いつの間にか春を終えようとしている。自然に。なんの衒いも無く。何の感傷も無く。花は散っている。誰かその末期を見届けたか。僕は空を見上げ続けていた。足元で醜く潰されていく切片には何時までも気付かなかった。
 誰かの声も、笑い声も、懐かしいばかりの時を越えて、いつしかわずらわしさすら感じられなくなった時。壊れたキーボードと、喉を焼くカスクストレングスを抱えて、僕は立ち竦んだ。空は遠いのだ。五月を迎えるためと言わんばかりの陽射しを汗ばみながらも避ける術すらなくて、無防備に空虚へと身を投げ出したとき、僕を受け止める物が何処にあるのかなんて、分りようも無くて。
 捨てられたページは何処に流れていくのだろう。懐かしい本を開いた。そこにある物語は不思議なほど、僕を昔のどうしようもなかったある一点と同じように救ってくれたから、救われたことに耐えられるわけも無かったから、脳みそをぶちまけそうな勢いで酩酊するばかりなのだ。見上げれば強すぎる眩暈が思考を幻惑し、耳朶を打つ轟音が自頭の中から齎されたのだという事実に気付いてしまう前に、どうか、溶けてなくなってしまいたいと哀願するばかりなのだ。
 窓を閉じて。俯いたまま帰ろう。降りかかる花びらは今年も美しく、僕は頭がおかしくなる。優しい狂気に甘えて、僕は吐き出すのだ。語りえない雑音を。空ばかりを見つめている時代に、誰かが水を挿す。日は傾き、春は終わる。それを見ない振りし続けるのは、流石にもう無理らしい。首を垂れた。足元に堆く積み上げられた面倒な積年を蹴散らして、必死に言葉を捜す。掻き分けて掻き分けて探す。あの空のような春のような君のような歌のような嘘のような花のような終わりのような言葉を探す。

■2011/05/29 『新緑の終わりに』
 腕を伸ばしていつも知るのは、僕には本当に掴みたい物なんてもう何も無いんじゃないかということだ。必要以上に長く成長して止まった手足は容易く置いてけぼりにする。身体を、気持ちを、降り積もった感傷を。僕は大人になり、もう間もなく人生の五合目に入ろうとしているらしい。遥か後方に投げ捨ててきた「何か」を、しかし既に負う気力もない。

 言葉を失くして中空を睨み付けた時、いつでも同じだけの空虚さで空は何処までも青かった。

 萌え出でる新緑の中を125ccのネイキッドは戸惑いながら走っていく。僕の足元でそれは散り、道は削られていく。僕は速さを手に入れた。でもこの速さは美しい道を行くことしか出来ない速さだった。堆く積み上げられた潮の匂いのする瓦礫に、僕は芯から吹き飛ばされてしまった。立ち竦み、助けを求めて視線だけをあちらこちらに投げつけては、どうしようもない気持ちで俯いた。僕の速さは失われていく速度でしかなかった。堆積していくのは疲労とぼんやりとした不安ばかりであるようだ。こんな青い世界の中心で僕は損なわれていくのだ。一瞬の躊躇も許されないまま。
 僕の育ちきった腕は、そろそろ萎び始めるだろう。綻びは益々大きくなり、やがてその隙間からドロドロとあらゆる物が腐り落ちていくだろう。潤む太陽に向かって、それでも伸ばし続けるのは、焦げた絶叫をそれでも上げようとするのは、僕が、既に知っているからだ。そうせざるを得ないたった一つの優れた嘘を、知っているからだ。
 五月の光の中で僕は臆面もない。間もなく来る湿った季節に、錆び付いた脳髄を執念深く振って僕はまた歌う。そう、やがて、空虚な空を、滲む後悔と、どこか快活な気持ちの両方を抱えて見上げられる暑い日が遠からず来ることを、僕はもう知っているのだ。まだ、信じてはいられるのだ。

 掴みたい物はどうしても見つからないようだけれども。留めども溢れ出ようとする、「何か」なんて本当は最初からなかったんじゃないかと疑う心を、どうにかして殺してやりたいけれども。

■2011/06/10 『春秋。祖母に寄せて』
 13時25分。それが祖母の最期の時間だった。平日の金曜日。陽光は澄み渡り、近い夏の気配を感じさせていて、丸い光が僕らをゆっくりと焼いていた。
 僕らは間に合わなかった。13時50分頃にようやく病室へ飛び込んだ。祖母の頬に手を寄せた母は「親不孝な娘でした」と一声上げると、後は肩を震わせて泣いていた。後ろで見つめる僕たち兄弟には言葉もなくて、僕はただ強かった祖母の思い出を幾つか反芻させながら、末期の部屋に篭る糞便の香りと、何処かから漂ってくる饐えた腐臭が、恐らくそれこそが死臭と言われる物だったが、鼻腔を鋭く突くうちにやがて痺れたように麻痺していくのを忘れないようにしようと思った。
 伝え聞くところによると、最期はやや苦しんだがあっという間でもあったらしい。しかしながら死に顔はそれを感じさせないほど穏やかで、僕は、この鮮やかな幕引きを仕上げて見せた人の生きた時間を思った。
 傍らから離れない母や立ち尽くしたままの弟達、目を赤く染めた従兄弟(ああ彼こそが最期に付き添ったのだ)を残し、陰影を濃くしていく白い病室をそっと抜け出て、しばらく病院の周りを歩いた。初夏の予感は道々に溢れ出そうとしていた。僕は人生の春夏秋冬を考え、そして何時の間にやら、僕の人生もまた夏の盛りに達していることに思い当たった。そしてまた同時に、子供を残すつもりの無い僕は、これから日々が枯れ果てていく季節に向かう中で、ゆっくりと全てを失って行くだけなのだということをそっと再確認する。どうしてだか、無性に煙草を吸いたくなった。燃え尽き霧散していく紫煙を久方ぶりにそっと見つめ続けたくなった。これはきっと、覚悟とはまた別の種類の通過儀礼なのだ。
 さようならお祖母ちゃん。ありがとう。今は満足に言葉にならないけど、いつかこの渦巻きがどうにか形を取り戻してくれたなら、その時は、また。

■2011/07/13 『梅雨は明けて』
 目も眩む様な夏が来た。また、こんな風な夏が。昨年のことを思い出さずにはいられない。陽射しは暴力的に跳ねる。その様はやや愉快犯めいていて、いつかどこかで通り過ぎてきたはずの少年の笑顔を想起させた。
 先日、祖母に続いて親友のお父上を失い、僕は頼まれた受付の仕事を別の友人と共にぼんやりとこなした。考えることも最早しなかった。折りしも梅雨の最中。雨は降ったりやんだりしながら雲は重く、ただひたすらに眼下の小さな世界を押し潰そうとしているようだった。僕はまとまらない頭を抱えたまま、差し出されるビールを飲み、食事をし、線香に火をつけた。煙草は、結局吸わなかった。
 どのくらい時間が経っただろう。なんだか梅雨は既に明けたらしい。頼りなげな口調でメディアがそれを告げるのを、やはりどこか絵空事のような気持ちで聞いた。そして続くこれから一週間の猛暑(なんと週末には34度まで上がるという)への報道を、笑いを噛み殺して聞いているしかなかった。
 どうやら梅雨は明けたらしい。振り上げた手の行方を決めあぐねたまま雨空は去って、ほら、夏が来た。前も見えなくなるほどの素晴らしい夕立と、我を忘れかねないほどの陽光を引き連れて。ああ、夏は本当に来たのだ。頭の芯を濁らせたまま、僕は否応も無い。

■2011/08/03 『立ち竦む青』
 足を踏み出すことに初めて躊躇したのは何時のことだっただろう。自分が今、無様に迷っていると自覚したのは。いつでも歌えると思っていた。怒鳴る事だって、おどけて見せる事だって簡単だと思っていた。ある時、立ち上がろうとした腰がどうにも上がらないことを確認して、僕は泣けもせず笑ったのだ。僕は、どこかでいつかこんな日が来ることを実は微かに知っていたのだ。
 空ばかり見上げているうちに、どうやら僕の心は遠い蒼に芯まで濡れてしまったようだ。八月の空はまだ薄曇りが続いていて、そんな事に心安く安堵している自分がいて。誰にも伝えられない幼稚な保身本能を醜く笑い飛ばす振りばかりを続ける。濡れた身体は随分前から生温く乾き始めていて、嫌な臭いを発し始めていることに焦りつつある。僕から立ち昇る悪臭は、やがて僕を更に孤立させるだろう。そしてそれは格好の言い訳となって益々僕をここに縛るだろう。くすんでしまった青さは最早、あれほど恋焦がれた手の平の先にあるものから最も遠いのだ。
 生きるということ。なんだかもうそれが何だかを忘れてしまいそうだ。僕の青さは擦り切れようとしている。目も眩むほどの怒りは冷め切って、今ではむっつりと凝り固まったまま、ひたすら胃にのしかかるのだ。懐かしい歌よ、今は響くな。虚しい速度で消えて行くお前の後ろ姿を、今は追える自信が無いんだ。
 八月の薄曇りに僕は立つ。右往左往しようにも、何だかこの狭い場所は心地が良くて、踏み出す足は萎えるばかりだ。ああ、視界の隅にちらつく物がある。立ち竦み、うな垂れ、時折燃える様な目でこちらを睨み付ける、青い姿が、ああ見えるような気がして、僕はまだ自分が泣ける事に気づいた。

■2011/08/25 『北へ行く』
 忘れようとすればするほど、思い出の中の眼差しは深まるのだ。だから僕は、覚えていればいいのだと思う。忘れようと努めず、かといって積極的に思い出しもせず、日常の中でそっと薄れて行けばいいのだと。それは悪ではないのだ。ある日ふとその事実に気付いた時に泣く必要は無い。微笑めばいい。
 さあ、出発だ。何度目になるだろう。僕はもう、かつて初めて家を飛び出した16の頃の様ではまるでないけれども、あのような高揚には届きようにも無いけれども、また、こうやって何度でも飛んでいくことが出来る。知らない場所へ、独りきりで駆けて行くことが。ああ、忘れてしまったはずの沢山のことをどうしてか今少しだけ思い出している。ふいに通り過ぎた懐かしい香りが、胸のとても深い所をしきりに叩くように。僕のどこかが反応して共鳴している。僕はまた出かけていくのだ。薄れていく「何か」とやらを、きつくきつく結んだ手のひらの中に、未だ握り締めているはずだと自分に言い聞かせながら。
 僕は北へ行く。長い途上で、後ろに長く引く軌跡を時折振り返ろう。僕は大きな船に乗り、海を越えて、広々とした虚空の下へと行くのだ。小さな黒いバイクに跨って。目前の青は僕が出会った事の無い色かもしれないし、いつかどこかに置き忘れてきた深さかもしれないけど、僕は何にも知らないような気持ちで見上げよう。少し微笑み、少し惑い、少し泣いて、また少しだけ上手に笑おう。そしてきっと、思い出の中の眼差しに少しずつ近づいていく。
 行ってきます。

■2011/09/14 『まっすぐ遠い』
 道があんまりいつまでも真っ直ぐだから、途中で曲がる気にもなれない。予定していた帰り道は大分前に通り過ぎていたようだけど、この実直な道はきっとどこにでも繋がっていくだろう。幾度目だろうか、丘の向こうに消えていく道の先を見る。僕はこんな時にいつでも心のどこかで、「丘なんて永遠に登りきらなければいいのに」と思っているようだ。きっとずっとそう思ってきたのだろうが、何だか今更ながらそんな事に思い当たる三十の昼下がりだ。
 ここの景色は何処までも広くて、僕があらゆる場面において度々感じてきた息苦しさは、どうやら得ようも無いようだ。空は青く、遠い。道は遠く、白い。君がこんな空の下のどこかにいることは分りきっているけれども、どうしてだろうか、それが同じ物だとは、もう信じられなくなっている。
 断絶された世界で、僕は、空と道と繋がり、時折か細い電波を拾い集めて君へと言葉を送り続けた。西の空もまた真っ直ぐ遠くて、言葉を紡げば紡ぐほど、それは何だか脆弱になっていくようだった。今は音が欲しい。僕のギターがこの場所で鳴り響く為にはもう少しだけ時間がいる。幾つかの後悔と、先細って行く未来への期待感を共に胸元に捻り込んで、僕は絶叫しよう。誰の気配も無い道の前後に向かって、時折、髪を振り乱しながら。

■2011/10/02 『笑って』
 笑ってしまうような。でも実はもう既にどこかで通り過ぎてきていたことのような。あんまりにも呆気なく職は失われ、僕は放り出される。うん、やはり耐え切れない。漏れ出すように笑ってしまってから、僕は少しだけ自分を取り戻す。
 坊主憎けりゃの故事にははまらないようにしよう。外には夕暮れが押し寄せていて、北の早すぎる秋の訪れが、あっという間に世界を赤く染めていく。気温は5度くらいらしいけど、なんだかそんなこともどうでも良くなるような、そんな空の遠さだ。
 分りきっていたことをなぞるのも、それはそれで骨が折れるのだ。遠い空から飛んできてくれたギターがほんの少しだけ僕を慰めてくれる。ただ、その感触にはまだ馴染めない部分もあって、僕は何度も対話を試みては、また少しだけ笑うのだ。
 次は何処だ。笑って。僕はどこにでも行こう。笑って。いつか行き果てる時に、僕は僕のままで、またこんな独り言を漏らしては、広すぎる永遠に、あの夕空に見惚れ続ける。両手はポケットに突っ込んだまま。

■2011/11/10 『月下、霜月』
 月が丸くて風は冷たいのだ。なかなか訪れない眠りを今は忘れて、部屋に残る何かの香りを繰り返し思い出す。時間が過ぎて外はますます静けさを増し、僕の影だけが色濃く伸びていく。
 道に出ては振り返ってばかりの日々は終わったのだ。足元を歳月と憧れが流れ去っていく。季節はずれの桜並木が赤く風に揺れるから、僕にはもう何も言うべき言葉もない。
 例えば十七歳の孤独がまだ擦り切れずに居残っていたとして、それがこの夜の下でどれほどの慰めとなるだろう。三十回目の秋に、呆れるほどの晩秋の最中に、どれほどの後悔をくれるというのだろう。僕は笑い、恥じる。歌い、駆け去ろうとする。こんなにも小さな部屋の中ですらどうにも収まることができないままで。ああ、月が丸いのだ。僕はあんな月を、こんな場所から黙って見上げている大人になんか、これっぽちもなりたくなんてなかったのだ。
 へたり込んだ腰は嫌な音を立ててきしんだ。踵の磨り減った靴は容易く底抜けた。大人の笑いを貼り付けて近付こうとした社会には跳ね除けられた。無様とは言葉に過ぎないと強がっているうちに、どうやら泣くこともできなくなっていた。
 風が冷たい。月が丸い。目を閉じて眠るのだ。出掛かった言葉を必死に飲み込んで、眠るのだ。

■2011/12/28 『両手に食い込んで』
 夕暮れは迫り、やがて没していく。風が吹く方向へ目をやろうとして思い留まったのには、深い意味なんてないのだと思いたい。存外に冷たかった耳元の唸りに、弱弱しく身を竦ませただなんてことを認められはしない。俯いた先にある物は、いつでも僕にまとわりついてきた影だ。僕がゆるゆると振る頭と共に、ぎこちなく舞う。
 どこかで一度見たことのあるような色をして落ちていく西日と同じくして、また今年も終わりそうだ。道を独り帰るとき、右手に下げた買い物袋が時折乾いた音を立てる。僕の手のひらに食い込むのは何者なのか。それは暮らしでありえるだろう。そしてそれは今日の糧であり、未来であり、通り過ぎてきた悔恨に他ならない。左手に持ち替えてしばし嘆息し、果たしてこれが何の救済になるのかと、独り笑いを噛み殺す。
 身は衰えていくのに、荷物ばかりが増えていくようだ。やがてちらつき始めた雪の白さが、僕の何ものをも救いはしないことに気づいて呆然とする。すべては今更であり、約束されてきたことであり、自分が望んだ結果であり、静寂であることに、小便を漏らしながら感謝するべきなのだ。ああきっとそうなのだ。そうに違いないのだけれども、間違いはないのだろうけれども、どうしたわけだろう。こんなに何もかもが憎いのは。目に写るもの全て、映らないものまでもを何もかも引き裂いて滅茶苦茶に踏み殺してやりたいのは。
 苛烈さを増すばかりの冬風から身を隠すように家路を急ぐ。両手に食い込むものにはきっといつまでも名前をつけてやれないけど、それをどう処理してやろうかを考える頭だけはまだ残っている。胸に空いた空白に自らを落とし込んで、あの有名な世界蛇みたいに縮こまって笑うのはもう少しだけ待っておくれ。どこに行くべきかはそろそろ分からなくなりつつあるけど、どうすべきなのかは分かりきっている。そしてそれに対しての情熱が、その熱量がどうにも致命的に足りないようだということも分かっているから。もう少しだけ。もう少しだけなのだ。
 ああ、また一年が終わる。それが悲しくて嬉しい。また今日が終わる。それがあからさまで言葉もない。痛む節々をつるりと撫でて、僕は帰路に着く。まだ、帰る場所はある。


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