log 2012
■2012/01/12 『氷点の下。君の言葉。』
 出口の見えない青い日々を何とか抜け出して、気がつけば夕暮れ。熱を帯びていた肌もやがて冷え切って、なんだか変に軽くなってしまった頭を振る。ああ、そうなんだろう。僕にはよく分かっている。これは空虚そのものだ。
 君の言葉が思い出せない。あの直情的な瞳は確かに行き先を告げたような気がするのだけれども。それがいつのことで、どこに向けた言葉で、熱情であるのか、悲愴であり、月光であるのかを、僕はどうしても思い出せないのだ。ここがどこか。そんなことにまで興味を失って久しく、あまつさえ、どこから来たのかなんてことには何十年経っても答えられやしない。
 氷点下まで下がる新しい日々は、しかしながら、いつかどこかでかなぐり捨てて来たものと似たような感触を持つ。それはどうにも他人面しているように青白く、僕は震えるのだ。すっかり慣れてしまったはずの居心地の悪さを思い出して。雪の降り止んだ後の幻のような夕暮れの中で、僕は燃え上がる世界に触れてみようと指を伸ばして知る。氷点の下に凍りつく僕の末端は、最早何ものをも捉えようとしないことを。
 君の言葉を思い出せない。それは季節の狭間にはまりこんで、すっかり見失ってしまった。また年が明けて、表層は塗り足され、その匂いにすら触れえなくなっていく。震える手で撫ですさった身体の輪郭が崩れ落ちてしまう前に、僕は思い出さなくてはならない。僕は思い出そうとしなければならない。全てが凍り付こうとしている鋭利な風の中で。ああ僕は、ああ、僕は。思い出さなくてはならないのだ。君の言葉を強く押し出していたあの湿度を。新しい日々が僕を冷たく塗り潰してしまう前に。

■2012/02/19 『過ぎる冬の空』
 悴む手を暖めるのは、いつでも自分の何かしらでしかなかった。それは懐であったり、言葉であったり、歌であったり、容易に数えられるほど僅かだが、幾度かは情熱や夢であったりもした。氷点下の日々が続いている空の下。僕は震えながら失われた熱を求めてぼんやりと指を広げたり縮めたりしている。
 新しい生活は否応もなく僕からあらゆる意味での余裕を奪っていく。疲れきった身体に安いアルコールをお湯で乱暴に割ったものを流し込み、意識が途切れるのを待って一日を終える時、目蓋の裏にいつか見た不愉快なフラッシュバックが爆ぜる様な気もするが、全身から湧き出る倦怠感はそれすらも忘れて眠りを求めている。
 いつかの遠いある日、僕は空が欲しかった。いつか近い未来のうちに僕はそれを手に入れられるだろうと思っていた。『いつか』はいつしか過ぎて、ここは『未来』だ。今、僕の手の延びる先にある空は、いっそ滑稽なほど高くて、美しい。僕は笑い、少しだけ泣く。淀んでは暮れて行く冬空が重く垂れ込める。
 僕の欲しい物は殆どが色褪せてしまった様だけど、それはまったく確かなようだけど、僕自身ももしかしたらその中の一部にしか過ぎないのかもしれないけど、それはまったく悲劇的なようであるけど、過ぎる冬の気配の最中に、いつでも感じて来た通りに、僕は春を思い、一方で停滞から覚めてしまうのを酷く懼れる。
 ああ、それにしても。しばらく友人と会っていない。少ない余暇は何だか本ばかり読んでいる。足は萎えて久しく、空は依然遠いままだ。でもまだ、そこにいてくれている。僕は薄甘い幻想の中で、そのことだけに未だ縋りついているのだ。縋りつく意思を幾度も繰り返し自分の中に確認しながら。確認して、言葉を失くす。

■2012/03/09 『反り立てる楊枝』
 魂を売るよりか、いくらかマシさ。古来なら「喰わねど高楊枝」とでも気取ったのかもしれないが、僕は21世紀に生きる名もない三十路だから、身の程をわきまえ慎ましい言葉で表現してみるのだ。魂を売るよりか、いくらかマシさ。でも、その魂とやらには、果たして本当にそれほどの価値があるのだろうか。
 風呂に入るたびに綺麗さっぱりと押し流されていく日々の汚れ。そして蓄積した疲労と、曰く言い難い砂の味のする物。排水口の向こうを覗き込めば冷たい木霊が返るばかりだ。その黒さに恐れをなして、心機一転、だなんてことを震えながら口走ってもみるけれども、どうしてかな、両足の感覚は年を経るごとに重く鈍いんだ。否応なしに風呂上りに視界に入ってくる男の姿については、そろそろ言葉に出すのも辛くなりつつある。
 僕の聳え立つ蒼い魂は、夕暮れの帰り道の中で頼りなげに揺れていた。いつの間にか慣れ親しみつつある県境に近い町では、僕の馴染んだ河原の道とは似ても似つかぬ風情で、大河がうねり、どこからでもいつまでも湧いて来る人影を身に寄り付かせ、大儀そうに流れ去っていく。少し先を行く僕の影は、絶えることのない人声に時折脅えたように身震いしては、ふと気がつくと足元の僕を振り返り、息を詰めて見つめてきているようだった。そして、顔を上げた僕を確認してからやっとまた前に進めるようだった。その健気な後ろ姿をしばし見守ってから僕は何度でも愕然として気づく。僕はこの、長年の、そして唯一の友を、糞下らない「何か」に売り飛ばそうとしていたのだ。
 魂を売るよりか、いくらかマシさ。今日も呟いていつもと同じ道を走る。気がつけば12年も付き合ってくれている僕のホンダ・スーパーカブはそんな僕を苦笑し、しかし今日も全力で叫んでくれるのだ。足元を僕の長い影が同じ速さで走る。昔より、少しばかりスマートではなくなったかもしれないそのフォルムは、でもまだまだすごく格好良いと僕は思う。格好いいと思えることを素直に嬉しいと僕は思う。
 僕の何ものかにもしも価値を見出さなければならないなら、僕は胸を張ってこう言おう。見てくれ、これが僕の自慢の楊枝さ。ちょっと頼りないかもしれないが、中々のものだろう!

■2012/04/12 『また春の中で』
 春が来た。春が来た、春が来た。暖かい日差しの中、窓際の花瓶に二週間放置されていた花は美しく根腐れして、この世の全てを呪うかのような臭気を撒き散らしながら、手の中でどろりと崩れた。緑がかった滑りのある水は取り残され、正しく終わりを示唆していた。何故かな。ここ数年というもの、春の訪れには何の前触れもない。いや、本当は気づいている。僕が、それをことごとく取りこぼしてきているだけだという事には。
 天上には強い南風が吹いていて、口を開けて見上げる僕はそろそろ首の筋を痛めてしまいそうだ。溢れる様な陽射しが僕を焼く。僕の影を焼く。僕の何ものかを焼く。例えば鳥が飛ぶように、いたって自然に、季節はまた巡って来た。それは本当に自然で、自明に過ぎるけれど、分かりきっていたことに過ぎないけれども、どうして僕はこんなにもがっかりしているのだろうか。時の流れを実感するための手段は年々増えてきているのに、反比例して手応えを失っていく。感覚を取り戻せないまま、一切は過ぎていく。
 春が来た。むせ返るような春の中で、また失われていく。それは自覚であり、希望であり、夢と呼ばれたものであり、活力だ。桜の雨の中に溶けて、ぬるま湯のような濁る水に流され、淵の中で淀んでしまっている。ああ、腐り行く花々の、そのなんて醜い去り際よ。もはや声をあげることも無く、しかしながら「ここにいる」とあんなにも無様に転げまわって。花瓶を投げ捨てて、僕は、切り取られた刹那の美しさをこそ、今こそ改めて呪う。
 春が来た。僕はまたここで眠ろう。日差しはやがて強くなり、僕の影をもだらりと焼き尽くすだろう。夜の中に花は落ちるのかもしれないが、気づかない振りにはすっかり上手になってしまったらしい。耳を塞ぎ、春眠に沈む。

■2012/05/08 『前髪』
 伸びきった髪では周りの風景もよくは見えやしなかった。そのために伸ばしたわけでもないけど、時間が経つほどに視界は狭まった。長く傷つけられた髪はいつの間にか優しく耳も塞いで、僕は、何となく座り込んでしまったその場から、もう立てる気がしなかった。いつの間にか削ぎ落とされていた脂肪は、どうやら無駄なものではなかったらしい。ふと眩しさから太陽へと手をやってみて、その貧弱な腕が掴める物なんてもう何もないんじゃないかとやっと気づく。
 強い言葉は使いたくない。だから僕には何も語る言葉もない。へたり込むうち、頭上を通り過ぎていく快適なメロディに「君が好き」だとか「愛している」という言葉を拾った。実像を結ぶこともなく消えていくそれらに、でももう何の感情もない。目の上に重く垂れ込める前髪が、見るべきものから僕を柔らかく守っていた。僕は安堵し、少しだけ眠ってから、目覚めた世界が、しかしまだ薄ぼんやりと暗いことを僅かながらいぶかしんだけど、耳鳴りのような輪郭のない遠い叫び声をどこかで聞いたような気もしたけど、僕はそれを捕まえるための言葉をどこかに置き忘れてきてしまったらしい。探そうにも腕は細すぎるし、前髪は伸び過ぎてしまった。
 ここにいてはいけないと、僕だって思うけれども、それはまったく確かなんだけれども、次の一歩を踏み出すべきだと分かっているんだけれども、それは本当に大切なことなんだけれども、ああ、まとわりつく何かがうっとうしくて、それを振り払ってしまう意気地がなくて、このまま何も形にする必要もないかと思ってしまったりもして。ゆっくりと沈んでいく頭の芯の中で、燃え上がるような焦燥感と嫌悪感が、激しく閉じられる。
 前髪をかき上げて、それだけでは足りないことに気づいて。横の髪をまとめて。それだけじゃまだ重過ぎることに気づいて。切り捨ててしまうにはまだ僕は青過ぎて。苦い後味を忘れないように何回も噛む。夏に向かう五月の空は不安定で、窓からは風が入ってきては出て行くのを繰り返していた。きっと何もかも同じなんだろう。入ったら出ればいい。長ければ切ればいい。分かってはいる。分かってはいるんだけどさ。また夜が来て、なんだか不安になるくらい大きな月が昇っては傾いていくのを見る。

■2012/06/07 『停滞。雨が降る』
 梅雨の気配がするような、そうでないような季節だ。一方で雲間から覗く日差しは日々苛烈になり、日の入りまでの時刻は伸びきって、今にも破裂してしまいそうだ。僕は毎朝恐る恐る空を見上げては、今日もそこに何ものをも見出せないことに安堵し、ともすれば溜まりがちな洗濯物の心配をしてみたりもする。どこにもそんな風情は見えないけど、いつでも賑やかな天気予報によると、梅雨前線はゆっくりと形成されつつあるらしい。遥か、南で。
 可愛がっていた後輩が逮捕された。強姦未遂だったそうだ。相手は小学六年生の女の子で、インターネットの携帯電話のサイトで知り合い、女の子の地元で実際に会った後で、車中において実行に移そうとしたが、何が悪かったのかどうも失敗したらしい。報道される『事実』をぼんやりと見つめるうち、どうもその「いかにも」な犯行内容の列挙が、目の端から静々と滑り落ちていき、『現実』とやらが、また少し僕から遠ざかっていくように感じた。その日、僕はたくさんのことを思い出した。僕はたくさんのことを考えた。僕はたくさんの頭痛と空笑いを抱えた。僕は手元の珈琲をしばらく見つめた。僕はやがて眠りについた。
 停滞する日々の中で浮かんでは消えていくうたかたに、意味を見出せなくなって久しい。僕の足は萎え、日差しに焼かれながら、今も何かを待っている。ああ、そろそろ雨が降るらしい。誰かが遠くでそう怒鳴っている。出したままの洗濯物を取り込まなくてはならないのに、風に揺れるそれらは薄汚れたベランダにはどうにも不釣合いなほどカラフルなのに、まもなく雨が降るらしいのに、僕の足は萎えたままで、赤く燃え上がる暮れ方の遠景に目を奪われたまま、身動きも取れない。やがて、あの空の向こうから『事実』を引き連れて、「いかにも」な『現実』がやってくればいい。そして僕の上にのしかかってくればいい。そうだ、そうであればいいのだ。いや、それは望まずとも直に来る。いや、それはもう目の前に広がって、のたりのたりと濁ったあぶくを立てている。

■2012/07/26 『いない君が』
 君がいない。そう言葉にしてしまってから、音の余韻が完全に失せてしまうまでの間に感じる自分への嫌悪感は、幾らか年を重ねても中々軽減してはくれないようだ。夏に差し掛かった日差しの下で、僕は何度も首を振った。夏が特別な季節だと、いつかどこかの誰かが声高に叫んでいたような気もするけど、僕の目前に広がるそれは茫漠としていて、なんだか不安になるくらい頼りない。
 君がいない。僕はここにいる。此処が何処かなんてことは、もう随分前からどうでもよくなってしまったよ。遠くに見えていたはずのゴールはいつしか霞んで、慌てて振り返った道の端々には、僕の見慣れない顔が怖い形のままこっちを睨み付けている。子供のころ、僕が空を仰ぐのは何故なのか、自分でも説明できなかったけれども、大人になってからのそれは、あまりに悔しくて、とてもじゃないけど口になんて出してやりたくはないんだ。
 君がいない。ああそうだとも。それはもう遠い彼方から何度も繰り返し吹き付けられてきていた、どうしようもない事象だ。何度も繰り返し確認する無味無臭のルーチンワークだ。劇薬を飲み込むような覚悟で口にしたはずだった、乾燥した一握の砂だ。もうここにはいない君が、僕を目覚めさせてくれることを期待して今日も眠りに落ちる。ああ、そのはずなのに。僕はそう祈ってもう崩れ落ちそうなのに。開け放った窓から忍び込む、厳かな夏の夜の気配が僕を薄く目覚めさせては、その度、満遍なく塗りこめられた儚き雲の向こうに、無いはずの月を探させる。その無意味な時間の中に、少しばかり救われながら。

■2012/08/07 『青森方面、東北旅行』
 海辺を北へ向かう。左手に広がった穏やかな波の群れは、いつまでも揺れながら、時折鋭く日光を反射して僕たちを射す。小さな車の中ではエアコンが賑やかに僕たちを励ましていて、カーステレオから流れる野暮ったい日本語ロックが、そんな道行きをいかにもそれらしく彩るのだ。ああ、こんな風なのだ。夏の真ん中を、こんな風に僕たちは過ぎていく。
 「ここよりほかの場所」に何かを期待することは止めてしまって久しく、情けないことに「ここ」を守ることにも熱心になれないまま、僕たちは島の突端まで駆けていく。小さな小さな車が僕たちをどこまでも連れて行くのだ。このまま僕らは、かつて『恥の多い生涯を送って来ました。』と嘯いた、偉大なる臆病者の生家まで行って、やがて帰る。そこに行って何がどうなるわけもないけど、そこに行くことは、ただのつまらない目的地に過ぎないのだけれども。「ここ」に留まり続けるには、今夏の暑気はあまりに苛烈で、連休は暇すぎた。
 後部座席に押し込んだキャンプ用品の出番は無いかもしれないし、三年も前に買ったビーチパラソルやシュノーケル、水着達の出番はとうとう今年もないかもしれない。延々と続く海岸線は、季節の光に焼かれて黒光りしているようにさえ見えるけど、しかしどこか寂しく、うらびれた印象なのは、僕がそれだけ年をとったということなのかもしれなかった。
 広げた地図に記された様々な記号に、ときたま目を白黒させながらも、一生懸命ナビをしてくれる君を横目で見ては、そっと浮かんでくる笑みを噛み殺す。夏の真下、ロックンロールが繰り返す怠惰な横揺れに身を任せ、僕は時々、自分がどこに向かっているのか、そもそも自分がいったい何なのかを見失いそうになっている。それらしい場所を、それらしい格好をして、それらしい物言いで、どうにか僕らはやり過ごそう。背後に置き去りにされていく速度は、しかしながら二度と取り戻せはしないのだ。北へ。寄せては返す波が教えることを、嫌になるほど胸に刻んで、僕たちは駆けていく。
 『恥の多い生涯』とやらがどんなものか、本当のことを言うと、それほど興味はないんだ。左手に海は続く。左手で君は笑う。真上に季節が見下ろす。所在無い右手は軽くハンドルに当て、引きちぎられていく下や後ろは見ない振りして、僕らは北へ向かう。いかにもそれらしい素振りで。

■2012/09/27 『踏みつけたまま』
 神様の残していったものを探すように。まるで、それが本当にあるのだと信じたかのように。疑わずに、泣くこともなく、後引く陰の中を凝視したまま。
 彼岸を過ぎて。夏は間もなく本当に終わるそうだ。近くの国では隣人達が愛国の為に物と心を壊し、燃やし尽くそうとしているけど、僕や僕の周りでは既に、長い夏を乗り越えられなかったものたちが焼けるだけ焼け落ちてしまっていて、なんだかひどく静かだ。
 健気にも暑気の残滓を振りまくような弱々しい夕暮れに染められながら、ふと、何かが確信を持って腑に落ちるのを感じた。どうやら僕は既に満足してしまって久しいのだ。何に、と問われれば曖昧に笑うしかないが、この気持ちの平坦さとしじまを、他に説明する言葉を持たない。悲痛な決意を持って何かを終わらせる必要もなく、僕はとうに終わってしまっていたのだ。
 神様が残していったものは、結局、掴む事もできないような薄儚い浜辺の砂のようなものだったのだろうか。まるで、それが本当にあるのだと自分に言い聞かせながら、信じた素振りを続けながら、僕は、自分の背後に澱んでいく影を、しかしながら、踏みつけることしかできない。
 夏は終わったのだろう。夕暮れもそろそろ消える。夜が来たら横になって眠ろう。開け放ったままの窓から、静かに、冷たい風が入ってくるのをどうする気にもなれずに、時折寝返りを打ちながら。

■2012/10/30 『My Little Fury Things』
 取るに足らないような小さな怒りの気配が、どこかに芽生えては消えていく。暴力的な革命を描いた村上龍の分厚いが軽薄な小説は、手の中で玩ばれたまま、中々終わりへと辿り着かない。何が。誰が。どこで? 僕は這い蹲り、媚び諂い、悪寒に震え、虫のように群れては死にたくなってまた独りだ。視界の端を列車が緩慢に通り過ぎていく。僕もそれに乗るべきだったのかもしれない。夕焼けの中、遠ざかる列はいつまでも鮮やかに揺れ動いていて、置き去りにされた年寄りの周りには、もうあの胸糞悪いウサギすら残っていないのだ。
 穴の中に潜り込もうとしては現実に返る日々に、僕は握り締めたこぶしの力がゆっくりと抜けていこうとするのをどうしようもないままで。時折、酷く惨めだ。人気の少なくなった駅前で、薄汚い形をしている興奮しきった男が、口角泡飛ばしながら撒き散らす有象無象への限りない愛の言葉を、しかめ面で黙殺する内に、僕もまた透明になってしまったんだろう。男の叫ぶ「神」とやらがなんなのか、僕にはちっとも分かりはしないけれども、きっとそれは、僕や君や人々や未来や誰も彼もにとって、きっと、とても必要な、それは、ああきっと、必要なそれで、きっと。ああ、あああ。
 もつれる舌を噛み切って、溢れる鉄錆を飲み下しながら、僕は、僕自身の小さな、どうでもいいような、酷く価値のない、とても大切な怒りを思い出す。這い蹲ったまま、冷たい地面の沈んだ色を目前にして、何度でも取り返す。徒に分厚い紙の海の中では、冷静さを偽った「賢い人々」が革命を叫び続けているけど、僕は、透明な僕は、それをゆっくりと踏みにじって笑う。こぶしの力は抜けたままだ。あいも変わらずだ。厳しさを増していく寒気に震えを押し殺したまま、僕はそっと腕を突き上げる。名もない駅前広場。夕焼けと幻想の中で、周囲に疎らに散らばる黒々とした人影を一つ一つ数え上げることもせずに、僕は、僕の怒りを透明な叫びと共に撒き散らす。

■2012/11/02 『モノクローム』
 鮮やかに染まった秋の深山の、その急速に失われていく色の中にいて、落ちては潰されて行く昨日を俯いたまま見やる。冬は間近らしい。緩やかに形成されていく乱層雲の向こう、微かな遠雷の気配を聞くが、それはただの幻想かもしれない。黒ずんだ顔をして、黒めいたコートを羽織り、しばらく歩いた。時折君を思い出す。人気のない道の先には、行く当てもないはずなのに、そんな雰囲気をおくびにも出さずに白線が続いていて、やがて行き果てるであろうはずの未来も、鬱蒼と沈黙する森の奥に消えていくようだった。
 黒か白かで聞かれたら、口角を捻り上げながら灰色を選ぶような子供だった。右も左も分からなかったが、前に行く気も、後ろに引き返す気さえ微塵も無かったから、その場に寝転んでいつまでも空を見ているような思春期だった。秋の終わりの森の奥の濃厚に過ぎるまるで死のような臭気に時々噎せながらふらふらと歩く僕はどんなものだろう。この弛み切った体は、蹴り躓くたびにどこかしらを痛めてしまうようだ。傷ついた場所を庇いながら歩くうち、そもそも、自分は何故傷ついたのかということさえも忘れた。なんのために、いつの間に、どんな理想の元に、信念や愛やレゾンデートルのような戯言に。手ずからに、何処かに流してしまった目にも痛ましい無限の色彩の後残りのような物を懐に抱えたまま、僕は前かがみになってふらつく。時折君を思い出す。空からは何だか懐かしいような、どうでもいいような音楽が聞こえてきて、僕はそれを一生懸命取り戻そうとしたけれども、それを一生懸命心に刻もうと思ったけれども、乾ききった晩秋の空気は容易く唇を割り裂き、僕は満足に口笛一つ吹けやしないのだ。
 色を失っていく世界の中で、僕は立ち止まり、至る所を見つめる。僕は至る所を探す。時折君を思い出す。足跡を辿り帰ろうとして、それがいつの間にか柔らかに腐り行く深々とした落ち葉に埋め立てられていることを知り、転げまわることもできずに立ち尽くすのだ。耳に聞こえてくる何もかもがわずらわしくて、僕は両手で貧相なこの頭を挟みこみ、立ち尽くしたまま震える。震えて、思い出す。
 時間が過ぎて。君はいない。彼らもいない。こんな気持ちの時にはどんな音楽を聴いたらいいのだろう。こんな気持ちの時には。色は失われていく。失われていくのだ。ああでも、やがて僕もいなくなる。いなくなるのだ。その事実だけが、あんまりに静かで透き通った、そんな、救いだ。

■2012/12/20 『緑は窓前に満ちて』
 人の少ない冬の川辺道を、時折吹き付ける横風に首を竦めながら自転車で下るとき。枯れ果てた桜並木は頭上に延々と広がり、遠い山は所々白く、処女めいた可憐な装いをしていながら、それでいて泰然として何かを思い悩んでいるようにも見える。冬が来た。きっぱりと。
 そろそろと今年も暮れて行くらしい。視界の端に時折光るのは柔らかな雪の切片で、それは、まるで僕が日々願う幸福のようにささやかに消えていくだろう。河の向こうには黒々とした国道が走り、騒々しい音を立てて人々が流れていく。ふと見かけた美しいベンチに腰掛け、暗く沈んだ川面を見つめていれば、どこかで鳥が鳴くのを聞く。
 俯いているのは楽だけれども、周りを見ずにぼんやりしているのは本当に楽なんだけれども。こんな寒い風の中にわざわざ踏み込んで、僅かばかりの次の気配を探る。凍りついた音楽はやがてまた鳴り始めるだろう。今はただ痩せ衰えてひび割れた木々も、やがて一つ、二つと梅花を咲かせるだろう。僕の空虚な窓よ、そういった時間の果てに、君はまた埋め尽くされるだろうか。僕はその圧倒的な香りと薫風に噎せるだろうか。噎せながらも滲む涙は甘いだろうか。冬の陽射しが僕をさす。川辺を、枯れ果てた桜並木を、染まりつつある山脈を、遠い人々を、ああ、世界を。
 また一年が終わる。吹きしきる冬風に痛みつつある頭を少しだけもたげて後、僕はまた自転車を漕ぐ。

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