log 2013
■2013/01/11 『立ち返る。染まる』
 僕は立ち昇る。立ち昇らんとする。降り積もるなにものかを受け止め切れずに立ち竦んだ時、あの怖ろしい空から来た雪の美しさに救われるのだ。いつでも、凍えながら救われるのだ。風は先ほど止んだ。静寂が今はうるさいほどだ。見渡す限りの灰色がかった白銀に、やがて踝までうずもれて叫ぶと、余韻も残さず吸われ失われていくものに、若さと名付けては自嘲の発作に息も止まりそうだ。いつでも少しでも立ち昇ろうとしていたから、背伸びをすることにも抵抗を感じなくなって久しいが、それが、無様なと言われる姿であることには抗弁しようも無い。
 風がまた吹き始める。名も無い川辺の道で呻き軋みながらも美しく立ち並ぶ木立よ、あなた方の姿はまるで遠い日の胸のざわめきのようだ。どうしようもない終わりの予兆のようであり、厳かで不吉な福音であり、端から並べられた歓喜し憎悪し相反するただの人工物だ。やがて来る春の訪れの中で溢れ出すほどの人々に見上げられる一目千本もの人工物だ。時折風に揺れて散らす天の露の様な雪の端が、黒々と濡れた幹から分離するとき、その一端が僕の冷たい手の中でさえゆっくりと形を失っていくとき、僕は、それが、とても、とてもじゃないけど、それが、その姿が、消えていく末路が、沈み込んでいく悲惨が、立ち昇るだなんて、登っていくだなんて、僕は、とてもじゃないけど、僕は、とても言葉なんて、踏みにじられ、灰色した灰色に、見渡してばかりの、積み上げられやがて消えていく灰色した、灰色、遠景までも染まる白、昇る、いやくずおれていく。ああ、風が吹こうとしている。次から次へと得意げに吹いては通り過ぎていくばかりだ。
 黒ずんだ道端の雪に黒ずんだ顔を息もできないくらいに突っ込んで、気の済むまで泣いたら僕は帰る。立ち昇っていったものは遠くて、振り返ってももはやぼんやりと輪郭が滲む。風がうなり始めた。雪が降ってくる。コートは随分前から水を含み始めた。重苦しいそれを捨てることもできずに、冬に染まって、僕は帰る。

■2013/02/17 『眠れ』
 貴方がいないのだと、もう何度、腑に落ちればいいのだろう。もう何度、愕然とすればいいのだろう。氷点下六度まで下がった朝の光の中で静かに目覚め、いつしか見慣れてしまった天井をぼんやりと眺めるとき、体に残ったわずかな力も、全てどこかに吸い込まれていってしまうようだ。何かを思い出そうとするとき、忘れようとするとき、なぜこんなにもどうしようもない気持ちにならなければいけないのだろう。もう大人になったのに。十分すぎるほど大人になってしまったはずなのに。
 身を起こせば、今日もほら、日常だ。僕は今31歳で、間も無く32歳になろうとしている。僕が失ってきたものについて、薄らいできたものについて、考えることすらもう擦り切れつつある。空は遠く、まだ春の気配も見えなく、でも確かに日々は進んでいるのだと、進むほどに何かから遠ざかっていくのだと、僕に教える。かろうじて残った繊細さを集めるだけ集めたら、その百万言を全て言い訳に使い果たして、僕は、口も利けなくなりながら、飛び落ちて粉々になってしまいたいと思う。風に吹かれて消えていきながら、なんだか、それでも貴方のことを思い出していそうだけれども。
 一つ思い出すたびに、一つ年をとっていくようだ。一つ取り戻すたびに、一つ傷ついていくようだ。一つ一つをちゃんと数え上げてみたら、なんだか僕の手の中にはもうあんまりたいしたものは残っていないようだ。それでいいのかもしれないし、それが悪くても、きっとどうしようもないのだろう。二月の空はまだまだ遠い。でも、間も無く終わる。春がやってきたなら僕はどうしようか。そこに、もしまだ選ぶ余地が残されていると言うのなら、僕は、暖かくて優しい何かに触れたいと思う。触れて、何もかも忘れて眠りについてしまいたいと願う。

■2013/03/30 『流砂』
 しばらく雨の気配も感じないまま、ベランダで冷たい風に吹かれている昼下がり。何かをしなければと思いながら、何をすべきかを決めかねている31の終わりだ。進むべきなのか戻るべきなのかももはや分からなくて、それでも間も無く春はやってくる。言葉遊びを意識的に控え始めてから、心はますます凪いで行ったけど、乾燥した砂埃が或いは海を越えてしまうように、僕の心もどこかに追いやられたまま、形にもならず、ただむず痒い。
 窓を開け放ったままの部屋を振り返り、その狭さに驚いてから、驚いた自分に再び驚き、恥じる。僕が沈み込むには何が必要なのだろう。何も必要ではないのだ。足元で崩れ飲み込まれていく流砂に乗って、声も無く失われていければ、それでいいのだ。砂は暑くて、でもその少し下はなんだかとても冷たくて、そこに存在する穏やかな隠喩に、しかしもう僕は名前をつけることはしない。
 ベランダで、考えたことはもう忘れてしまった。今日も雨は降らないらしい。僕は振り返り、狭い部屋に足を入れて布団をひっくり返し、それを干した。ベランダが少しばかり軋んだ。耳元でさらさらと何かが流れていく音がする。僕は耳をふさぎ、またしばらく風に吹かれる。

■2013/04/24 『春雨』
 年をとる、ということに、いつまでも慣れることが出来ないでいる。考えてみれば年に一回しかその機会がないわけで、やむを得ないかな、と、冗談にもならない言葉遊びをしては、すっかり春の顔をした明るい表をぼんやり眺めていたりする毎年の過ごし方だ。僕の両手には相変わらず何も握るものが無く、戯れに掴んでかき鳴らしてみたギターの音も、なんだか酷く滲んで頼りない。
 外はいつしか曇り、冷たい雨が降り始めた。開け放っていた窓はそろそろ閉じるべきなのかもしれない。そこから、僕の望まないものが飛び込んでくるかもしれない。手はかじかんで、足は竦んでいる。簡単なことだ。簡単なはずだ。腹に力を入れて立ち上がり、この空虚な窓を音を立てて閉め切ってしまえばいいのだ。僕の震えはやがて止まるだろう。僕の手は伸ばすべき方向を知り、掴むべきものを探り当てるだろう。簡単なことだ。簡単なはずなんだ。僕は窓を見上げ、そこから覗く絹糸のような雨にだらしなく口をあけ、頬を濡れるがままに任せたまま、やはり立ち上がることも、手を伸ばすことですらもするつもりになれない。
 年をとる、ということが本当の意味においてどういうことなのか。そんなことはずいぶん前からよく分かっている。分かっているからこそ、僕は。春の中で雨に濡れながら遠く咲くあの花を思う。あの花の下で笑いさざめいていた在りし日を思い、窓を開け放ったまま、流れていくものをぼんやりと眺めたまま、だらしなく震える体を見つめる。

■2013/05/27 『25度』
 四杯目のスピリッツを飲み干す前に容易く意識は沈んだ。何が本当で何が正しいのか、結局自分には分かりそうになさそうだ。確かに来るであろう夏の予感を吹き抜ける風に感じる。僕には最早椅子から立ち上がる気力も無い。窓から風が入ってきて、僕に何かを残し出て行く。僕の意識はまるで金泥だ。アルコールのくれる倦怠感は、しかしどこまで行っても倦怠にしか過ぎないのだ。
 縁あって今月の初めより仕事にありつけた。時給は千円にしか過ぎないが、なかなか悪くない仕事だ。どうしようもない子供たちをどうしようもない大人が監視する、そういった素敵な仕事だ。自転車で川辺の道を駆け抜け、朝に出て昼過ぎに帰る。何処かで見たようなシチュエーションに時折眩暈がするけど、今、僕の傍らに流れる河はあまりに大きくて、なんだかとてもそっけない。木漏れ日の下を巡って歩く人々をかわしながら、桜の回廊なんてあんまりにも軽薄に満ちた名前の道を走る。僕は時折泣く。僕は時折笑う。さめざめと、高らかにだ。夏を予感させる陽射しが斜めに僕と景色を焼いて、名前も知らない数多の野鳥の声に耳を塞がれながら、緑に急かされるように僕はペダルを踏み、この小さなアパートに帰るのだ。
 四杯目のスピリッツを、僕は飲み干せやしないのだろう。僕は誰かを待つような気分になりながら、一方で気づいてもいる。泥を切り出したような意識の底で、僕は既に何もかもを放り出しているのだ。もうすぐ夏が来る。僕の中に流れ込んでいくスピリッツの熱さと同じだけ、いや、それ以上に世界が燃え上がる季節が来る。失われた魂よ、僕を焼け。

■2013/06/30 『世界で働きたいか』
 世界で働きたいか、と言われれば、本当の所を漏らせば、どうでもいい、と答えるしかない。夏の気配を濃厚に感じる六月の終わりだ。僕は、自分のこれからと、居場所を求めて、明日東京まで行ってくる。面接があるそうだ。僕の人間性や特性とやらを、ありがたくも試していただけるということだ。
 また小学校で働き始めていつの間にか二ヶ月が過ぎていた。今のところ、僕の場所はここだ。頼りない身の上ではあるけれども、幾人かの優しい人々のおかげでのうのうと生活できている。自転車を転がして往復するのは(時折酷く草臥れる事を勘案しても)気持ちのいいものだし、子供たちの笑顔や、真剣に取り組む姿を間近で見られることは、僕に単純な喜びをもたらしてくれる。いくらかの何かが胸の中でざわめくけど、そのざわめきは時折耳を聾するほど大きくなるけど、押しつぶされて何にも無くなったような気にもなる時があるけど、バイクで逃げ出せば行く先が見えずに思いの外動揺することがあるけど、だけど、僕は、この場所が、だけど、この場所でさえ、僕は、だけど。
 世界で働きたいか、と言われたら、僕は、どうでもいい、と答えよう。どこのどんな場所にも子供たちはいて、どうしようもない大人たちがたむろしていて、僕の胸のざわめきが金切り声をあげるだろう。どこかしら、あらゆる場所が、他のどこかでさえも、それは変わらないのだろう。ああ、夏が来る。陽射しは重く圧し掛かってきて、僕は、ペダルを漕ぐ足を励ましながら、色濃くなっていく緑の陰をくぐって、世界の一部になる。

■2013/07/01 『流れ去る車窓』
 窓の外を吹き飛んで行くあらゆる景色の一つ一つが、もし人生と言って差し支えないのなら、僕の上を限りなく過ぎて行った数々の速度にも、また何かしら以上の意思はあったのだ。自分が何者なのかを問うて、その答えがあんまり無残に白々しい時、その空白にあんまり心がざわめくとき、僕は僕を取り戻すために振り返る。視界の果てを飛び去った感情の余熱を。
 揺れる車内と足元を、吐き気を堪えながら耐え忍ぶうち、僕は僕にまつわるよしなし事を、暮れ蓋がる夕闇の気配に見出そうとする。あちらには何かありそうだ。こちらには何もなかったようだ。ただ何も感じ取れなかっただけだ。出来の悪い振り子のように傾いたまま、行くか戻るかも決めあぐねたまま。
 車窓は流れて、知らない街をいくつも過ぎて、僕は元の鞘に納まってしまうのだろうか。行く手の空は垂れ込めていて、なんだかとても悲しい青さだ。揺れる田園と渡る名も無き河の、不思議に鮮やかな色彩が、置き去りにされた心を刺す。
 窓の外をいつか僕も流れていこう。いつか、物も言えなくなりながら。見失ってきた数々がそこにあるものと、祈りながら。

■2013/08/17 『夏の道。踏切。』
 陽射しに焼かれながら幻想を見る。目蓋に写った色濃い影は、いつまでも消えていかないように思えて。陽炎に揺れる夏の往路。果てに現れた踏切を渡り、途中、過ぎた人を振り返る。遮断機が僕と彼女の間を遮って、僕たちは遠ざかった。踏切のこちら側であの人を待つ僕は、いつかの幼く自信に溢れながらも夢破れた僕で、遥か彼方、断絶の向こうの彼女は、あの夏に潰えたグロテスクな花のようにひしゃげていって。僕たちの間を幾年もの列車が通り過ぎる。僕たちの間を遮って、列車は轟音に全てを覆い隠して幾たびも幾たびも通り過ぎる。幾億もの色彩と可能性を乗せて列車は過ぎる。やがて気がつくと、ゆっくりと、夢物語のような時間は終わり、道の向こうに君はいない。僕は言葉もないし、どうすることもできない。いくらかの逡巡の後、また項垂れて道を行くだけだ。足元で灼かれたアスファルトは熱を持ち、今にも溶けて、何もかもを飲み込むのかもしれない。飲み込んでくれるのかもしれない。机に仕舞い込んだままの書きかけの便箋と、飲みかけたまま忘れられた年代物のウィスキーと、何らかの苦い過去までをも、それは飲み込むだろうか。
 辿り着けば、いつも季節の真ん中だ。僕は立ち尽くし、焼かれ、夢見る。夏が真上にある。幻想が音も無く霞んで消える。季節が過ぎる。何もかも一切と共に。

■2013/09/30 『喪失。月光』
 解けた指の行き先をつかめないまま、空ばかりを掻いている。笑顔の君が掻き消えて行った夕闇に沈み込んで、いつしか月明かりに揺れる自分の影を見つけるとき、下手糞だった別れ言葉や、立ち振る舞いや、気持ちの表し方や、捩じれ切れそうな叫び声のあげ方を、今更悔いている自分に出会う。
 ばいばい、と、そんな言葉だった。あんまりにあんまりな、そんな言葉。そして柔らかな笑顔。ばいばい、と首を傾げて笑った君に、しかし僕は、目を逸らす事も出来ずに、後ろに滲む藍色した夕焼けの色が、やがてどうしようもなく遠ざかっていくのだということを、傷んだ果実を握り潰してしまった時のような驚きとやるせなさをもって知った。
 俯き夜を待つ僕は、もしかしたらもう気が触れてしまっているのかもしれない。カーテンを揺らして、少しばかり開け放った窓から、風と共に懐かしい気配が忍び込んできた。僕は振り返らないし、窓際の人影も何も語らない。僕は顔を上げないし、人影も何も言わない。僕は泣かないし、君もどんな顔をしているか分からない。分からないから、僕はきっと君が、あの日の笑顔でいてくれるのだろうと思う。明るく朗らかで、最後に相応しい微笑みでいてくれるのだろうと思う。ああ、夕闇の名残は間も無く消える。夜がやってくる。僕はまた失う。ゆっくりと冷たい風が忍び込んできて、僕は振り返る。

■2013/10/02 『こえて』
 にわかに落ち着きを取り戻したような緩やかな雨の中、暑気はようやく本当に去ろうとしているようだ。ふと、窓辺を濡らす風の中に、これまで歩いてきた自分の姿を垣間見たような気がして焦ったけれど、そんなものはやはりどこにも無く、ただ僕と思うところの僕だけが、ぽかんとした顔をして過ぎ去った夏の気配に何か言葉を贈ろうとしては挫折する。
 つまらないことが溜まり過ぎたみたいだ。他人によって煩わされることについてしばらく忘れていたが、なかなか逃げ切れはしないようだ。退屈で、退屈で、退屈だ。自分の周囲には何も興味関心が無いのに、社会的生存のために、それはつまり自身の豊かな生存のために、切り離しきることが出来ないのだ。打ち捨てられ破れ切った由緒なき古刹で禅の真似事をしてみた時、空虚と無との違いについて知ったが、それがどうしたことだという気持ちすらもう持てず、虚ろな笑い声が上がるばかりだった。空は高く、暮れ行き、やがて閉じる。繰り返しの中で無数に生まれては消えていく全ての物事を、事物のフォークロアが歌い上げるのを呆然と見やった。そっと目を閉じれば、そこはいつでも始まりの場所だ。生れ落ちて腐り落ちていくまでの、世界の涯てだ。つまりは全てが僕の夢なのだ。
 窓を叩くおぼろげな雨音に我を取り戻す。いつか零に還る事が出来るのなら、僕はまだしばらくは有為のままでいい。やがてその奥山を越える時、虚ろな喜びがそっとそこにあればいい。ああ本当に、それだけでいいのだ。

■2013/11/11 『やにわに下がった気温に』
 やにわに下がった気温に、しかしまだ冬の匂いはしないようだ。今週はこの調子でしばらく気温の低い日が続く、とテレビが喚いている。気をつけろ、気をつけろ、と言われつつ、何に気をつければいいのか、本当のところはきっと誰にも分からないのだろう。どこかではもう雪もちらついたらしい。どこかでは、という曖昧な言葉では、僕の心はざわつかないようだ。
 もっと視界が冷え切ったなら、また森の中にでも行こうかと思っている。やがては枯れ果てた細道を踏んで行くことになるだろう。森の中の道は曲がりくねっていて、僕はいつの間にか何処に何を誰がどんな風にどんな色と香りで温度で傷心でそこに辿り着きたかったのかを見失う。昔、人生を森の中に例えた浅薄な男がいたが、一笑に付して踏み潰してしまおう。踏み潰した足を上げるとき、なんだか沢山のなにかが絡みつくような気がしたけど、そ知らぬ振りでもっともっと奥まで歩いていこう。きっと森の中は寒々しくて、11月を11月らしい実直さで僕に向かい合わせてくれるのだろう。冷え切った手指はもう何に触れても感知し得ない。冷え切った頭だけが酷く冷静に現状のどうしようもなさを告げて、優しく終わりを示唆する。想い出の中の幼き夕暮れのように。
 やにわに下がった気温に、しかしながら僕はバイクに火をいれる。出したばかりの革のジャンパーは照り輝いていて、黒光りするブーツと共になんとも頼もしい。森に踏み込むのはもう少し後にしよう。森の間に続く寂しい筋を今は辿って、道の端で腐り色褪せて行く秋の名残をそっと見送ろう。やにわに下がった気温に少しばかり震える。少しばかり自嘲して走り出す。

■2013/12/22 『一年の終わりに』
 緩やかに涼しげな冬の入り口だ。教室の隅で焚かれたストーブは優しく軽やかに燃え尽きていく。窓の外の銀杏はとうに骨身を曝していて、青過ぎる空に何かを突き立てているようだ。子供たちの賑やかな声も、日一日と深さを増していくように感じるのが何とも不思議で、僕は曖昧に微笑み、時折そっと溜息を吐く。どこかで誰かが僕の名前を呼ぶ。先生、と呼ばれることにはいつまでも慣れない。でもそうであることはもう仕様がないのだから、僕は精一杯先生のような顔で振り返り、笑いかけ、頷いて見せたりまでをもする。
 一年がまた終わろうとしていて。総括する言葉を僕は持たない。何処にでも行ける様で、何処にも辿り着かない様でいて。空ばかりを見上げては幼い声にからかわれる。辺りを見渡せば、人生を一言で表そうとしている人達が無数にいて、僕は心底うんざりしながら足元の照り返しと朽ちていく落ち葉ばかりを見ている。冬の日は静かに進み、増えていく防寒着のカラフルさにふと柔らかな気持ちをもらって、僕はまもなく仕事を納めようとしていた。
 一年の終わりに、戯れに聞いてみる。小さな彼らに聞いてみる。一年とは、人生とは何か。そして僕は耳にするのだ。「そんなの終わってみなきゃ分からない」。あまりにもあっけらかんとした真実を。
 空が青く、風がやや冷たい。上着の前を合わせて、僕は自転車で帰る。通い慣れた道の美しさに何度でも目を奪われながら。

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