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 log 2014
■2014/01/10 『躓いた後に』
 正月の喧騒もすっかり失せて、気が付けばまた日常だ。今年の年始はそれなりに画期的で、昔一緒にゲームを作った仲間と久しぶりに食事をしたりもした。あれやこれや、あらゆる蟠りは今となっては全て空しくなった。ただお互いに年をとったねと顔で伝え合っては、取るに足らない歓談に流れて過ぎていった。僕らが作ったゲームはさして話題にもならず、今思えば出来も酷く、特に何の位置も得ず、影響も与えず消えていったけど、聞けば、インターネットの中古ゲーム屋に在庫があったりもするらしくて、なんだか不思議な、優しい気持ちになる。
 僕が残したかったものは何だろう。いや、そんなものは何もなかったのだろう。白状すればそのゲームだって自身の意思で製作を始めたわけではないのだ。古い友人への義理で踏み込んだに過ぎないのだ。結果的に、広報や製作に対して自分の情熱や忍耐が他の面子よりもやや勝っていたために、最終的にはそれなりの貢献度にはなったが、かといって出来上がったものが自分の製作物とはとても思えはしないのだ。ゲームはその後もう一本作った。小さな、そして無料のお話だった。かろうじてこちらは自分の作品だと思うことが出来る。ただ、それを作ることに何かを期待したりだとか、残そうという意思があったかどうかといわれれば心もとない。スキルがあり、時間があり、興が乗っていた。ただそれだけに過ぎないのだろう。
 正月も終わってまた日常がやってきた。仲間たちと作ったゲームは、今年でなんと製作十周年となるらしい。時間の流れについて今更思いを馳せる必要もないけれども、これからの十年間も益々容易く消えていくのだろう。何かを残したいか、と自分に問えば心もとない。今後の十年をどう過ごすか、と考えると失笑を抑えきれない。只今の静寂が更に募って耳を塞ぎ切ればいい。塞ぎきった合間からそれでも忍び込んでくる何かがあるとするならば、僕はまた笑顔でそれに飛び込もう。ああきっとそれがいい。開け放った窓から僕は飛び出す。飛び出して、つんのめり、走り、また転びそうになる。そのたびに大声で笑い、躓いた後に残るなにがしかを、時折懐かしく振り返る。
■2014/02/16 『記録的大雪』
 あんまり酷い雪だった。交通機関は完全に麻痺して、僕は昨日の予定を全てキャンセルした。主要道路ですらも膝まで埋まりそうな程の深い雪が、しかしながら行き場を無くし、道路脇に積み上げられては端からまた積もった。昨日は教え子の発表会に行く予定だった。本日に振り返られたそれはなかなか楽しかったけれども、大変申し訳ないことにあまりに雪の印象が強すぎて、記憶がところどころ朧気なのだ。今日になってやっと降り止んだものの、僕と彼女は車を諦め、雪を掻き分け掻き分け歩いて会場へと向かった。途中通り過ぎた国道は昨日より続く渋滞にまんじりともせず、日が差し始めて奇妙に明るい冬の日の中で、なんだか古い外国映画の一場面のように非現実的に輝いていた。
 外はしんとして僕には何も書くことがない。吸い込まれ踏みしめられ、明日の通勤を思うと少しばかり憂鬱だけど、そんなことさえもどうでも良くて。馬鹿みたいに外を眺めてはゆっくりとウィスキーを飲む。慣れない雪かきで体は疲弊してしまっている。頭が少しばかり濁る。この雪が溶けてしまっても、溶けてしまったら、まだ冬の只中だ。まもなく春の影が見えてくる。春に僕はここを離れるだろう。冬に僕はここを見つめるだろう。僕はなんだか本当に言葉が見つからない。どこかで物が落ちる音が大きく響いた。部屋から眺める空は黒く塗りつぶされていて風は穏やかで、僕はなんだかどうしようもない気持ちだ。こんな夜にはただ黙っていよう。何をしていても春は間も無く来るのだから。
■2014/03/30 『渡河』
 僕たちの三年弱は2tトラックの荷台に容易く詰め込まれた。川辺に咲き乱れる桜で高名なこの場所を、今日出て行く。また仙台に行くのだ。1kでしかない小さな僕らの生活は一応終わり、2LDKの分不相応な器が口を開けて待っているらしい。清掃が追いつかない扉をとりあえずは閉め切って、運転席に乗った。振り払うことも出来ないまま過去は降り積もっていく。空はあいにくのぐずつきかたで、なんだかとてもやるせない気分だ。
 早朝から友人が手伝いに来てくれた。そういう人間がまだ自分の周りに残っていてくれることに素直に感謝をしよう。僕はもう幾分前から言葉もないし気力も萎え果ててはいるけれども、だからこそ、感謝や喜びの気持ちだけは大切にしていこうと思う。絶望に黒く濡れた夜を越えて飲む一杯の冷えた牛乳のような救いを、揺れるその豊かさを、押し頂いて歩いていこう。
 引越しをする。河を越えてまた北へ。なにやら懐かしい場所へ。レンタカー屋で借りた最新の2tトラックは拍子抜けするほどスムーズに、軽快に走る。雨の道を通り抜けて、僕たちは懐かしい場所へ帰ろう。抱きしめた藍色を、眼前の曇り空の上にそっとなぞりながら。
■2014/04/02 『春摘み』
 丸森の名も無い道の途中に車を停め、母とふきのとうを摘む。平日の昼下がりは人の気配も無く、ただ春が空中にある。仰ぎ見るまでも無く、光は、季節は道端に点々といつまでも芽吹いていて、歓声を上げてあちらこちらと歩き回りながら、やがて手にした袋を満たして満足げに微笑む母を僕はなんだか懐かしい気持ちで見る。
 やりのこした引越しの片付けに来てくれたのに、業者が入るだかで必要のなくなってしまった人手を持て余し、僕は母を連れて県南を当ても無くふらついた。白石の城に初めて登り、角田のロケットに初めて登り、それぞれで写真を撮り、白石の古い中華屋で食事を取り(ああ、忘れてしまわないように名を記しておこう。來來という小さな、しかしながら僕も妻も本当に通いつめた店なのだ)、角田の山奥でアイスとジャムを買い求め(工房美山の里という素晴らしい手作り食品を供してくれるところだ)、すっかり満足して帰途に着いた。
 空はいつまでも晴れて、風はいつまでも優しかった。春で視界が満ちる。隣で母が春だね、と呟く。摘んだ春の欠片が車内を清涼に包むのを感じつつ、僕はこの場所で過ごす最後の時間を思う。若いふきのとうは天麩羅に、花開いてしまったふきのとうは蕗味噌に、というなんでもない母の言葉に、少しばかりときめく胸を抱えて、車は帰路を走る。積み残したものは無いか、何かを置き忘れてないか。ここ数日頭を占めていたそんな苦悩が、窓の外を流れる景色にゆっくりと溶けていく。僕は帰る。袋一杯に摘んだ、少しばかり苦い予感のするそれを時折眺めながら、母とどうでもいい話で大笑いしつつ、帰る。
■2014/05/13 『長の休日』
 ゴールデンウィークには学生時代の知人友人たちが集まり、仙台の片隅にある新たなこのマンションで楽しく夕飯を囲んだ。持ち込まれた様々な酒と愚痴と笑顔は容易く僕を酔わせた。開け放った窓から適度に乾いた涼やかな風が入ってくる。この日のためにおろされた真新しいホットプレートは、しかしながら役立たずで、張り切って焼かれるはずの焼きそばは無残に伸びてしまったけれども、こんな風な夜には、それすらも余興の一つとして不思議と思い出深い。ゴールデンウィークの過ごし方なんて何が正解なのか見当も付かないけど、きっと僕たちは幸せなのだろう。テレビは消してしまった。音楽も。話声は途切れず、早々に諦めてガスコンロで調理を始めた僕の背中にも、何度も繰り返し温かい言葉が届いた。その日の晩のうちに帰る者、泊まっていくものそれぞれいたが、夜眠りにつくころには酔いもすっかり回りきっていたようで、僕の記憶は酷く濁って曖昧だ。
 身の回りのことを書こう、と、そう決めたわけではないけど、結果的にそうなっている。自分に問うてみたが、今年になって何か心境の変化があったわけではないようだ。あえて言うなれば書くことが無くなってしまったのかも知れない。観念としての言葉が像を結ばず、日々の徒然だけが徒に降り積もっては、なんともなく、それを書き残すことに抵抗を感じないから、そうしているのかもしれない。分からない。そういえば今年に入ってから揉み上げの辺りにちらほらと白髪を見かけるようになって興味深かった。知らずそこにあった白いものをしげしげと眺めては感心していたが、そういった単純なことが理由であるに過ぎないのかもしれない。自分のことというのは本当にわからないものだ。分からないことも含めて僕はまだ生きているのだ。生きて、老いつつある。得意げに名前をつけたり、それらしく飾り立てた解析の何て無恥な事。そして無知なこと。心の虚はどこまで行っても不透明で、濁り切った頭を持て余し、俯いている間にもとうとうと日々は流れ、過ぎていくばかりなのだ。そんな、視界を過ぎる事象を掴める訳もないけど、僕はこうして言葉を残している。そしてそれは観念としてではなく、ましてや末那識などでは決して無い。
 長の休日も、そろそろ終わりにしなければ。結局やる気を見せることの無かったホットプレートは御役御免となって売り払われることとなった。自身も何らかの着地を決めなければ。日々がそこにある。目前に確かにあったはずの幻想は、今はもう見えない。わずかな残り香が胸を痛ませる。休日を終えて、痛む胸を抱えて、僕は立たなければ。ああ本当に、そうしなければならないのに。
■2014/06/24 『梅酒』
 梅酒を漬けるのは三度目だ。南高梅の立派なフォルムに横目を流しながら購入した県内産の名も無き小梅は、一キロで280円と破格で、頼りない懐を喜ばせてくれた。更にいくつか必要なものがある。氷砂糖と、これまた安価な焼酎と。瓶は去年のものを再利用することにした。去年漬けた梅酒はとろりと柔らかな対流を見せながら新たな住処へと移動した。新しい酒は若気の至りのような無邪気な透明さで、芳しい梅の実と共に狭い瓶の中ですまし顔だ。
 漬け終わったばかりの琥珀色した甘露をちびりちびりやりながら、ぼんやりと夕暮れを見ていた。先ほどまで繰り広げられていた小さな戦いの名残りの様な気配が、まだ部屋に残っている。幾らか駄目になってしまっていた小さな梅の実が、しかしながら華やかな香りを放ち続けていて、なんだかどうしようもなく泣きたい気分だ。目を上げれば曇りかけた空の向こうから優しい西日が差してくる。湿度を含んだ風がカーテンをそっと揺らして、僕の中の何かも酷く不安定だ。
 時間が経てば。時間が過ぎれば。僕の足は萎えきっている。時間が経てば。もう少しだけ何かを失えば。僕の手の中で揺れる甘い酒に、本当に相応しい言葉を思いつくかもしれない。でも。だけど。ゆっくりと飲み干されていくグラスの中の一年が、僕の頭を朧気に眠らせていく。僕は言葉を失い、やがて、窓の外の夕焼けが、いつしか失われて夜が来ていることに気づく。気づいて、微笑む。新たな一年はシンクの下にそっと眠りについた。そこにどんな隠喩も見出す気になれず、夜の中で、梅の香にも似た、曖昧な悲しみをそっと見出す。
■2014/07/29 『田んぼ道。帰り道』
 新たな職を得た。外国人対応という身も蓋もない肩書きがついた小学校での仕事だ。笑ってしまうのが、なんと勤務先が自分の母校であったということだ。これから毎日四時間ずつ働く。驚いたのが時給の高さで、これまでやってきた仕事と比較して、むしろかなり楽な内容であるのは間違いないのに、これまでの三倍にもなる。交通費も出る。でも保険と年金は自分でどうぞだそうだ。なんだか釈然としない。物心ついたころからこの社会という奴には釈然としないことばかりだ。ともあれ働かなくてはならない。新しく入ったマンションの家賃は馬鹿にならないし、そこでのおままごとみたいな暮らしも悪くないのだ。毎日子供たちの顔を見て笑い、見慣れた、見慣れすぎた故郷の田んぼ道に、何だかすっかり気の抜けた顔で、バイクを走らせるのだ。
 職場では、相も変わらず大人たちが馬鹿げた事ばかり口走っているけど、僕はここでしばらく働いていこう。不快感は忘れずに、飲み込んでしまうことなく残しながら、それでも働いていこう。くだらないことをくだらないと吐き捨てずとも、僕は笑っていられるのだ。日々伸びていく稲の青々しさに、幼い頃から、知らない昔から延々と繰り返されてきたそれに、いつでも新鮮な驚きを感じながら、僕は笑っていよう。あらゆることが僕の周りにあり、僕はあらゆることを知らない。恐らく知り得ることはない。ただ、稲の青い波を渡ってくる夏風に目を細めて、僕は帰り道を走る。
■2014/08/29 『まっすぐな道』
 寂しい道を行くときこそ豊かだ。いつでも降り出しそうな暗い空の下、色づき始めた稲の海を掻き分けて進む。泥田から時折飛び立つ鳥が見せる背中が一つも汚れていなくて、ごてごてとした自分や社会の悲哀をこそ笑い飛ばしたくもなるのだ。よごれつちまつたかなしみを、僕はもう感じていない。そもそも汚れようもなかったのだ。醜いものは最初から醜かったし、真に美しいものは形状なんていう退屈な気の迷いを超えていつでも遥かだった。遥かだったのだ。
 豊かであるときこそ無様だ。僕は足りている。この上もなく。幾らか失ってもかまわないほどに。夏の終わりの野の原の辻の端の誰もいないこの場所で少し風が吹く。バイクを停めてしばらく吹かれていると、ふと忘れ物を思い出したような気持ちになり、胸を押さえて過ごす。豊かだ。豊かで無様だ。鷺の見る先が見えず夏空。火の上がる方には行けなかった。なんともなく頷く陰の重き。曲がりくねった道を寂しく行く時、僕は言葉を放り投げて崩れ落ちる。違和感はもはや日常になって、それが気持ち悪いという感覚すら磨耗している。僕はもう全てを見たのだろう。全てを得たのだろう。僕の言葉を誰も理解しないだろう。過分に得たもの以上に失われ、失われ続ければ、やがて僕もゼロになる。膨れ上がった贅肉を落とし切り、やがてゼロになる。どんな生き方も生き物もみんな等しく意味がない。それはどれほど大きな救いなんだろう。僕はそれをこそ美しいと思うし、嬉しいとも思う。
 雨に降り込められた盆休みを福島でぼんやりと過ごし、夏を失い、僕はまた働こうとしている。ここ数年の猛暑が嘘みたいに風は穏やかで涼しげだ。稲穂の海を原付バイクはのびやかに滑り行く。道はまだしばらくまっすぐで、寂しく、豊かだ。まっすぐな道は何処とも交わらず、ひたすらに美しい。悲しい美しさだ。寂しい美しさだ。道の上を夏空が首を傾げたような風情で流れていく。時折飛び立つ鳥の後姿に見とれながら、僕はこの道をまだまだ走る。
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