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 log 2015
■2015/03/18 『卒業』
 母校の卒業式に出た。というとまるで自分が来賓にでもなったかのようだ。なんていうことはない。教員として参加したのだ。卒業式なんてものは僕が卒業した二十年前と比べても失笑してしまうくらい変わらなく、ただ、僕のいる場所が変わっただけなのだ。立場が、舞台が変わっただけなのだ。粛々と進行していく式典を、花粉症の薬のせいで容赦なく襲い掛かってくる眠気と戦いながらぼんやりと眺め、時折凝り固まった首を回してはそっと溜息をつく。それだけの時間だ。
 あらゆる予定調和が終わり、やがて退場していく卒業生を見送ったとき、ふと、自身の記憶が甦って来て戸惑う。この会場は、体育館は、確かに僕が通り過ぎていった場所だ。多少耐震工事もしたらしいけれども、見た感じあの頃と何も変わっていない田舎の垢抜けないいかにもな体育館だ。でも、今目の前を通り過ぎていく卒業生たちを見下ろすこの場所がこんなに小さく感じることにどうしようもない戸惑いを覚える。そしてこんな、ありがち過ぎて何とも形容しがたい感想を抱いている自分という名の中年の無様な姿に素直に衝撃を受けていることそのものに新たに幾重もの眩暈を覚えて、天井は容易に回った。ひるがえって僕の足元は残酷なまでに堅固な風情で冷たく僕を見上げていて、それを見やる僕の視界はゆっくりと歪むのだ。
 卒業おめでとう。僕もまたいくつもの卒業を潜り抜けてここにいる。どうしようもなくここにいる。どうか君よ、君はここにくるな。おめでとう。僕はここにいた。ここにいる。ああ、とりどりの鉢植えられた花々がそれぞれの美しい手によって持ち去られていく。「先生もお一つどうぞ」と無邪気に差し出されたその可憐さに酷く混乱して、僕は、曖昧で醜い笑顔を何とか浮かべ、震える手を差し出し、恥知らずにも受け取ってしまったそれを胸に抱いて、言葉もなく帰る。僕の卒業を、いや、僕にはもう卒業すべきものもないのだ。それを知ってか知らずか優しく震える花を頑なに抱きしめて、卒業していく子供たちを見送り、僕は唇をかみ締める。
■2015/07/22 『燠火』
 言葉にならないなら口を噤んでしまえばいいと決め込んで、ぼんやりと日々を越していくうちに僕は声のあげ方すらも忘れ去りそうになっている。殆ど全ての隠者がそうであるように、蔑まれながらそれでもあやふやに笑って過ごすことを繰り返して、僕はこのまま消えていってしまいたい。胸の中を抉れば燠火のような赤く腫れ上がる醜いものがまだぶすぶすと音を立てている。この暑さが完全に消え去ってしまえば、きっともう僕は自由だ。自由に何処にでもいなくなってしまえるのだ。
 明日から花山に行く。被災地の子供たちのための合宿に引率として参加することになった。主催者である日本赤十字スタッフ達の要領の得なさには既に大きな不安と失笑を禁じえないから、せめて僕は子供たちのためにひたすら尽くそう。何のためになのか何の理由があってなのか何の意義があるのかなんてそんな無意味なことは、もうずっと前から考ることもなくなってしまった。深い山の中で子供たちと笑おう。ただ、そうしたいと思うから。そうすればいいと思うからだ。
■2015/08/18 『夏風』
 季節はまた行こうとしている。夏風というには少しばかり清涼な風が吹く。僕を撫でては遠ざかっていく大気や空や歌や夢や何かしらの美しいものが、静かに告げている。僕は大人になってしまった。微温湯の様な空気の中で冷え切っていく体に、そして頭に、心に、逆立つべきものも綺麗に飼い慣らされて、大人になってしまった。陽射しに負けて挫ける肌に、今年、生まれて初めて自発的に日焼け止めを塗った。目深に被った帽子と、長ソデ長ズボンと、首にだらしなく巻いたタオルと。僕は世界から遠ざかる。容赦の無い日の光は無数に辺り一面を刺し貫いて、立ち昇る夏陽炎に視界はゆっくりと滲み、僕は世界から切り離される。僕は大人になってしまった。大人になって身動きをとる気力も失せてしまった。僕は満足してしまったのだ。或いは諦めてしまったのだ。大人になってしまったのだ。社会の中で。
 懐かしいものの幾つかは既に失われてしまって。僕や彼女はその一つ一つを拾い上げては律儀に悼み、埋葬した。花は咲き乱れて、見る間に思い出に降りかかってはゆっくりと沈み込む。時折思い出すために、僕たちは語り合う。時折忘れるために、僕たちは語り合う。そのたびに僕は何度でも思い知らされる。それらが本当にもう何処にもないことを。花はまた咲いて散りかかり、僕は言葉を尽くそうとして噤む。花が失せ、緑は萌え上がり、長い雨が過ぎて、また夏の陽射しが戻ってきた。踏み出しかねている僕たちの上に。その光はあんまり強すぎて、恐れ慌てふためきながら自分を覆いつくしてしまうことでしか、もうこの場に留まる事も出来ないのだ。大人になってしまった僕には。
 今年初めて茨城に行った。夏の動物園は人影も少なく、ただ焼かれていく生き物たちと僕の心があるだけだった。帰りには栃木まで足を伸ばしてもみた。夏の避暑地はさしあたっての涼しさも無く、道々に放置されたかつての夢の廃墟が視界を過ぎる度に僕は押し黙った。拍子抜けするほど近かったそれらの場所に何の言葉も浮かばず、僕の行くべき所はもう殆ど見当たらない。季節はまた行こうとしている。大人になった僕もどこかに行ければいいのに。風に吹かれて、行き果ててしまえたらいいのに。大人になれ果てて、通り過ぎていく風の行く先を思う。
■2015/09/30 『焼かれた家路』
 払暁に似た夕暮れの中にいて、神という概念のひたすらの寂しさを笑う。僕や僕以外の人々の持つ小さな物差しで計りきれぬもの一切を無責任に押し付けられた物悲しい妄想の産物だ。それは夏の夜の悪夢にも似て、寝覚めてみればひたすらに不快。べたべたと纏わり付く数限りない有象無象はしつこく飛び回る蚊にも似ている。
 日々薄れていく存在感と、存在しているという意識そのものと。誰が何のために自分のために失われ手応えを失っていく日々に言葉を供えると言うのか。夕暮れに焼かれて、僕はもう何一つ知ることが無い。僕のために死ぬことも出来ない僕が踏み出せる場所なんていつまでも際限なくだらだらと無限に増えていって、何処に足を下ろしてもそれがただの残響に過ぎないことを僕はもう知っているのだ。流れ去り伸び盛り金色に染まって刈られようとしている今年の稲の海も僕にとってはただただ滂沱すべき美しさを湛えた自然の摂理に過ぎない。失われていったものよ、全てよ、飛び立っていった小鳥よ、僕は青い葉脈の中で行き詰まり、微笑を投げてみる。焼かれて何か懐かしい残酷に支配された一景色の中で数えるべき数を忘れ呆として指をくわえたまましゃぶりつくしてしまった感性をこそ反芻する。焼かれた染め上げられた概念と概観を捧げよう。たちまち失われるそれを震えながら捧げ上げよう。僕は、ああ、僕は、もう言葉をすらこの手から滑り落としてしまった。それが嬉しい。それが悲しい。それが誇らしい。それがおぞましい。それこそが静寂だ。しじまこそが人生だ。ぼくがぼくでぼくのぼくを。焼かれて果てて妄想すらも色褪せて、僕はここにいる。懐かしくもどこもかしこも記憶の中とは違う鈍色した故郷のどうしようもない田園の中にいる僕ごと何もかも焼き尽くされて言葉も無くへらへら笑って、僕は泣くことも出来ずにいる。帰ることも出来ずにむずがり泣き叫び転げまわる木偶だ。神の名を問えば、僕の両手の平はきつく結ばれ血に染まるだろう。その薄甘い御伽噺にひたすら笑って忘れて、赤に溶けてしまおうとする。あああああ、溶けて静かに、とにかく静かに、僕はもう無くなってしまいたい。家路を辿る僕の足の先が染まった色を忘れられないまま、過ぎていく時間の影の色を忘れられないまま。
■2015/12/10 『言葉を終に』
 空の青さを言い表す言葉を終に見つけられないまま、今年も終わるようだ。枯れ上がった遠い山を幾つもの筋に染め上げ始めた雪の静粛さに、僕は冷えだした足を気にしながら原付バイクを走らせる。風も陽光も、幼い思い出も、やはり僕に言葉を与えはしない。今はただ静かに、流れ出る感情を出来るだけそのままに、そのままにいられたらと祈るだけだ。
 母校で働く、という不思議な体験も今年度で終わるらしい。継続期限というものがあるそうだ。それに何かしらの意味があるのかは僕には分からない。興味も湧かない。母校で働く毎日は僕にある種の沈痛さを与えたが、それはただの感傷的な追悼にしか過ぎないのだろう。僕の視界に写る懐かしいあらゆる物の中に、しかしなぜか、いつでも僕は不在なのだ。踏みしめる足の下で冷たく響く廊下の感触ですらも、僕にはもう遥か遠い幻に過ぎないようだ。数限りなく過ぎる子供たちの顔に、時折懐かしい何かはないかと捜しては見るけど、やはりただそれは過ぎ去る西風のようなものでしかない。雪の気配を感じさせながらまだまだ降り出さない雪のように、僕を何とも冷やしてしまうそれらの事実に、僕はもうどんな表情も作り得ない。時間が来るたび、静かに流れる遠鳴りのような音楽を求めて、僕は原付で帰る。
 何もかも持ちながら、何物をも持ちえず、僕も今年も終わる。消えていくだけの意識に、なぜこんなにもあらゆる名前が付いているのか、本当に理解できる日は僕には来ないのだろう。雪の気配を感じて振り仰ぐ冬の空は何処までも枯れ渡っていて、僕はその青さに何の気持ちも言い表せないまま、日々とともに終わっていく。静かに、終わっていく。終の言葉をぽっかりと失ったまま、静かに埋もれていく。この空もやがて曇って、雪が降るだろう。僕の足元は降り積もり覆い尽くされ、失われて、凍える体に何の術も無く、押し黙っていよう。言葉を終に見出せないまま、いつまでも押し黙っていよう。
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