log 2018
■2018/02/24 『雪道と空』
 一度や二度しかなかったと思う。雪の降る音がこんなにもはっきりと聞こえたことなんて。

 五十年に一度なんて言う大仰な肩書を引っ提げて特大の寒波がやってきた冬。雪が真横に降る中、無謀にも原付バイクで出てきてしまった僕は、通勤路の途中にある新幹線の高架下へ辛くも逃げ込んだ。路面はどこもかしこもアイスバーンだ。常備しているタイヤチェーンを震える手で装着し、腕時計を覗き込んで、始業時間までまだ余裕があることを確認してからやっと、一息ついて周囲を見回す余裕ができた。

 360度を田んぼに囲まれた農道の一角であるこの場所には、どこにも人の気配もなく、いつしか吹き止んでいた暴風の代わりに、しずしずといつまでも雪が降り続いていた。大きな玉のような、花の蕾のような雪だった。そんなにもはっきりとした雪なのに、手で受けてみると音もなく崩れた。故郷でこれほどまでに繊細なパウダースノーは見たことがなかったかもしれない。僕はバイクに腰掛け、しばらく空と、染まり続ける大地を見送った。

 今年、この場所からまた離れる。あやふやだった昨年とは違って、今年度こそ最後の年になる。僕の生まれ故郷での四年間は、意外な時間であったとともに、なんだか何かしらのご褒美のような、そんな緩やかな日々だった。ご褒美を貰えるようなことなんて何一つしていないのだけれども。目に映る一つ一つに一喜一憂しつつ、なんだか煙に巻かれ続けていたような時間を過ごしてきただけなんだけれども。なんだか僕は良い仕事をしたらしい。周りの人々が笑顔でそう言ってくれるからきっとそうなんだろう。どうにも実感は湧かないし、本当のところを言うと、そんなことは心が動かされることの少ない、どうでもいいことなのだけれども。僕にとって、今目の前で落下し続けてはすぐさま消えていく一つ一つの方が遥かに切実で、悲しく、嬉しく、空白なのだけれども。

 耳に響く囁き声に似たものが雪の降る音だと気づくのにはそれなりに時間がかかったと思う。過去に聞いた数回の記憶とともに、それは透明な感情を喚起した。僕は深呼吸し、遠くを、空を眺め、バイクにもう一度火を入れて、また凍てついた道を走りだした。チェーンがいい仕事をしている。さっきよりも大分マシになったけれども、過信することはやめよう。道はどこまでも白く、僕の視界もゆっくりと曇っていく。

 この果てに春があることを、僕はもう疑うことはしない。また春が僕の上にもやってきて、あらゆることを刷新することを僕はもう知っている。この白く覆われた美しい大地が、だれもいない静かな世界が、僕を救ってくれる一瞬の空白が、すぐにまた失われてしまうことを、僕は惜しまない。雪道にて、僕は慎重に、けれどもどうしても滑ってしまうことを楽しみながら、空白を超えていく。冬を超える。空虚はここにある。
■2018/03/11 『ショート・ソング』
 どこか遠くに行かなくては、という気がすっかり無くなってしまってから、本当はいつでもどこにでも行けるのだと、やっと解ったような気がする。行く必要すらないのだと。人生は旅ではないし、夢でもさよならでもない。ああ、確かに少しだけ汽車に似ているかもしれない。でも似ているだけだ。僕の今見ている空が、幼いころに見た空と似ているかもしれないという位の、ただそれだけの近似性だ。

 いつかお会いしましたねと言われて頷く曖昧に笑って

 結局、誰かに言われた言葉も、誰かに告げた言葉も、僕を大きくは揺らさなかった。おお歳月よ憧れよ、誰がここにいるというのか。傷ついている。癒されている。被害者ぶっている。加害者を気取っている。それらは全てただの匙加減だ。少なくとも、僕は職場で隣に座る人には興味が持てないし、時々振られる話題は呪いか趣味の悪い冗談に聞こえるし、いてもいなくても、というよりか、誰もいなくなって欲しいと思っている。僕はここにいて、既に遠いのだ。繰り返す潮騒の全てを覚えておくことはできない。言葉で記録したものは既に過去の消失点なのだろう。現在の実が目前にある。未来はすぐに過去になる。そしていなくなる。ありとあらゆる感情を、擦り切れていったそれら一過性のわななきを、僕は悼む。悼む先から薄れていく。

 抱えた頭がそれほど重くないなと気づく啓蟄

 時間は過ぎた。変わるためには十分だった。でも、日付けが僕に告げる物を、僕は覚えていよう。僕は忘れずにいよう。覚えていたい。忘れずにいたい。変わってしまっても、覚えていたい忘れたくない。そういえば昨日、郵便局で身元不明者のリストを久しぶりに目にした。身元が判明した人も幾人かいたらしく、顔写真のあったであろう場所には上からシールが貼られていて。良いことだと思いながらも、ふと、これでその人々の顔を見ることはもうないのだと思った途端に、もう思い出すこともないのだと気づいた瞬間に、酷い悲しみに襲われた。かなしみがどこからくるのかわからないよといつまでもねぼけていたいはる。字余りのような心を引きずって、歌えもせず、また春が来る。
■2018/03/30 『ドレミ』
 ドレミから始めて、空を突き抜け、やがて死に至る。途中通り過ぎたファは見なかったことにしよう。やがて積み重なる脈々とした倍音が、いずれ何もかもを滲ませてくれる。そうすれば気まぐれな無調性感や、吊り上げられたどっちつかずの秩序も、いずれは根に帰るだろう。

 明日、仙台を出る。都会での僕たちの4年間もやっと終わる。汚れた空気を胸いっぱいに吸い込んで、少しずつ透明になりつつある僕や彼女の時間に一区切りがつく。知らない土地でまた始める。ドレミ。天候は不安定で、予定は不順だ。でもそれでいい。でもそれがいい。声を限りに歌えたら、きっと僕たちは楽しいだろう。大声で歌えたら、きっと僕たちは自由なんだろう。僕たちはもう歌えるのだ。それをもう知っている。戯れに腕を広げて夕暮れの空を見上げよう。ドレミ。世界は春の予感に満ちはじめて、僕たちはそれをもう知っている。
■2018/04/12 『新しい場所』
 どこからか甘い匂いが運ばれてくる。視線の先で見知らぬ花々が揺れている。新居の庭先にどこか気まぐれな風に咲き誇っているその花の名前はムスカリと言って、麝香のムスクと同じ意味だと、何となく眺めたwebサイトが説明してくれた。それにどれほどの意味があるのかなんて知らない。ただこの可憐な花が持つ不似合いな花言葉のような気持ちとは程遠い感情で、僕はそれを見る。

 慌ただしい転居から2週間が過ぎようとしている。地縁の無い場所で、僕たちは平屋の貸家を借りた。戸建ての3LDKはそれなりに年季の入っているものではあったけれども、水回りや床はリフォームされているし、僕や妻(今年の1月27日にやむを得ず入籍した)の個別の部屋はあるし、それぞれの部屋は7畳もあるし、前庭に裏庭、加えてプレハブまでついてくるし、と、列挙したくてもできないほど僕たちに分不相応な物件だ。ここでまたしばらく生きる。もう何回目になるのか分からない引っ越しには、今回はなんだか本当にくたびれてしまったから、今度は5、6年はここにいたいねとぼんやり話している。

 どこからか甘い匂いが運ばれてくる。おもてにあらゆる緑が再生する。ふと思い立って庭に幾つかの花の種子を蒔いた。早ければ5月の終わりにはその姿を見せてくれるそうだ。花の種を求めることも、ましてやそれを植えてみようと思ったこともこれまでにはなかった。ささやかな花壇に日が差す。外に飛行機が飛ぶのが分かる。目を細めながら新しい場所を見つめるとき、僕の窓は開かれる。僕は微笑む。
■2018/04/30 『燦花』
 いつまでも散る花と春の下を言葉もなく歩いた。通り過ぎていく山々と花々に言葉にできず車を走らせた。春は過ぎる。花は燦々と落ちる。友はまた遠方へと去った。庭に撒き散らした種子がその芽を結ぼうとしているのを片目に、僕の上に五月がやってくる。陽射しは眩しく遠い。眩しくて一度目を閉じてしまえば、僕はもうここからいなくなる。世界も。

 新しい土地はいまだ土地勘もなく、地図を覗き込んでいる時間も多々ある。無数の境界線を指でなぞり、読み方も分からない数々の地名を飛び越えて、僕たちは走る。僕たちが走るとき、本当に飛び越えたものは何なのか。それは各々の胸の中に仕舞っておくべき事柄なんだろう。境界線を越えるとき、僕たちが抱えているものは何なのか。それはなんでもないつまらない物でありつつも、一切なんだろう。足元を呆然と見やる僕の視界を、何か大きなものの影が過り、追い抜いて行った。南を図るその翼について、僕はもう憧れを持たない。ただ遠く、高く、うつろであれと願う。遠く、高く、うつろであることができたなら、今、視界の隅で燦々と落ちていく花々の静けさについて、もう無理に言葉を探すこともしないで、僕は思うままに、軽やかに、嗚咽すら漏らすことができるだろう。

 友と飲もうとして購入した故郷の地酒は、その値段と店員の自信に溢れたセールストークとは裏腹に、酷い苦味と臭みに溢れた失笑物の出来だったけど、そんな、かつての苦味と臭みに溢れた日々を思い起こさせてくれるこの体験を僕は嬉しく思う。顔を見合わせ、酷い酒だねと言いあいながら春を終えることができることに、それが許されているということに、僕は言葉もない。

 新しい季節が来る。花は降り注ぎ、緑と光が満ちる。忘れられた気持ちをほんの少し取り戻す。眩しさに目を細めつつ、その気持ちをぎゅっと握りしめる。強く握りしめる。
■2018/05/07 『草々』
 笑うと目じりに小さな皴が目立つようになった君の傍らで、時に微笑み、時に戸惑いながら日々を見送る。休みの日に僕たちの小さな車を走らせれば、一切は過ぎていきます、と、君が冗談交じりに呟いて、春を終えようとしている車窓を眺める。知らない場所も、知らない歌もまだまだ世界にはたくさん存在していて、それらの全てを知りうることはないのだととうに知っていて。今更ながらなぜ命はあり、なぜ消えていくばかりを決定づけられているのかを不思議に思う。十年前に通った道は十年前とどこか違うようであり、全く同じようであり、ただの一度も見たことのない場所のようであった。

 あてもなく車を走らせる内、大きな波で失われた小学校を通りがかった。あまりにも凄まじい被害を出してすっかり有名になってしまったその場所、大川小学校をその日僕たちは初めて見た。周囲には多くの人々がそれぞれの顔をして歩き、覗き、時折沈痛な表情で頭を振り、そして多くの時間を黙って過ごしていた。五月の日差しと、柔らかな風がその場を包み、強制的に廃墟となった静かなその場所を、僕は不謹慎にも美しいと思った。

 とぼとぼと歩く僕たちの近く、たくさんの人を集めて恐らく何らかのガイドの人が、強い語気で学校という場所やそこで働く職員を悪し様に罵っていた。僕はなぜか少しだけ身につまされながら、そしてどこかで、どうでもよいとも思った。ただ、後から誰かを貶めることはしたくないと、まるで自分たちだけが被害者で悪いのは他の誰かや組織だと思い込んでしまうようなことはしたくないと、改めて感じる自分を見つけた。それほど問題があったのなら、事件が起きる前に自分が動けばよかったのだ。もし、知らなかったという言葉が許されるのなら、死んでいった子どもたちや職員たちも、きっとどうすれば良かったのかなんて知りはしなかったのだろう。僕たちはみんなが当事者だ。そういった視点を持てずに誰かを責め続ける以上、きっとまたこの苦痛に満ちた思い出は塗り重ねられる。

 煩わしさに顔をしかめる僕に、君がふと手を添え微笑んでくれた。積み重ねられていく僕たちの年月と失敗を、その美しい小さな皴に刻もう。僕の手足は萎えようとしている。陽射しに投げ出せば、五月の空がそこにある。変わっていく万象の中で、それを見つめる気持ちだけはまだ変わっていない。
■2018/05/12 『翳ろう空』
 こんなにも失われたものについて。僕たちが懐かしく思い出すとき。想い出は色褪せ、ひばりは飛び立つ。眩い五月の底に目を細めつつ、どうにかこうにか直すことのできた自転車を軽やかに走らせる。周囲はまだ見慣れない景色だ。延々と広がる晩春の水田に、永遠のような陽射しがある。限りあるものについて考えることはもうやめてしまってもいい。有限であるということならきっと、僕たちの目に映るもの手に触れるものすべてが有限だ。無限に見えるものは、ただ知覚の外にあるというだけのことなんだろう。だから僕は今、そこで歌い続けているひばりの姿をひたすらに美しく愛おしく思う。こんなにも失われたものについて。僕たちは懐かしく思い出す。どうしてかな、思い出すたびに遠ざかるような気がするのは。甘く饐えた季節は過ぎた。過ぎたのだろう。

 やがて夕暮れの気配が辺りに漂い始めた。自転車から降りて住宅地をぼんやりと帰る。途中、通り過ぎた家の前で老婆が二人、椅子に腰かけてなにやら仲睦まじそうにお話をしていた。「燕はいぎなりいねくなっがら」、「とぜんだあ」、「んだがら」。一斉に飛び立っていく燕を僕も見送ろう。僕たちが飛び立つのはどうやらもう少し先のことであるようだ。こんなにも失われたものについて。歩き歌い失い思い出す。夕空が翳った。少しだけそれを見上げまた自転車を押す。歩き歌い失い思い出す。ありとあらゆる喪失が僕たちの中にある。繰り返しの中で進む。
■2018/06/13 『みんな夢でありました』
 過ぎてみれば全てが夢のような、幻の余熱さえももう感じられない。陳腐だなと思う。でもそうであることは事実だなと思う。連絡の取れなくなった友よ、君は元気でいるか。今夜も楽しい酒を飲めているのか。馬鹿ばかりをした日々を馬鹿々々しく思い出すとき僕は馬鹿みたいに笑い馬鹿みたいに塞ぎこんだりもする。酒はきっとあの頃よりも上等になっているけれども、どうにも苦いのは仕方ないのかもしれないね。

 断絶を乗り越えていけると、確信もなく思い込んだまま大人になり、やがて老い始めた。断絶の向こうは遠ざかるばかりで、木漏れ日のような夏の始まりのような陽炎のような揺らめきの果てに、それは霞んでいくようで。誰のせいでも何のせいでもなく、ただ失われていくものを、僕は儚んでいるばかりだ。夕方を過ぎて夜の気配が満ちるころ、重い腰を上げてコップに注ぐ今夜の酒は、よく出来た氷とグラスの中で透明に揺れる。大人になり、独りになり、自由になり、なんにもなれなかった僕は、しかし何にもなりたくはなくて。強いて言えば消えてしまいのだけれども、この憂鬱と煩わしさを誤魔化す術も熟知してしまったから、口の端から漏れる汚らしい笑い声に自ら失望しつつ、綺麗なものを呷って消す。消された先から継ぎ足してはまた消す。

 みんな夢でありましたと、そう歌うことはしないだろう。僕はしないだろう。悼み儚み探す。霞み始めた目と萎え始めた手足と折れかけた心と張り付けた汚らしい笑みとどうにも消せないひりついた焦燥を抱えて悼み儚み探す。夢のように消えた、夢そのものであったはずの何かを。
■2018/06/15 『A Sky Full Of Stars』
 空のような、星で満ちた空のようなと、譫言の様な愛の言葉を重ねましょう。いつか最後の夜は更けて、明けることを待つことなく、僕たちもまた最期を迎える。数限りなく繰り返されてきた世界の事情と同じように、僕たちもまた声をあげることもできないままさめざめと泣くのだろう。

 あの空のような、星で満ちたあの空のようなと、甘く苦い言葉を重ねましょう。結局僕たちは楽園を見つけられなかったね。結局僕たちがどこから来たのかは分からなかったね。願いは消え去った。世界は苦くて、手先は冷たく、重なって震えながら、夜明けを待ち続けて。空に星は満ちて、僕は戯れに君を星空に例えては、見失う。

 僕は憎むよ。世界を。命を。存在を。自意識を。末那識を。声の限りに否定するよ。やけに気だるいこの体を阿頼耶の戸の外に放り投げて、この意識が消失するまで、何もかもを透明な星空の向こうに消し去ってしまえるまで、僕は憎み否定する。ああ、表の道をパレードが通り過ぎていく。仮装されたその波に乗り込んで僕たちも行こう。したり顔で、知らん顔で僕たちも行こう。撒き散らされていく花々。籠いっぱいの花々。ここには本来無いはずの花々。道々に降り注がれていく花々の行く先を、しかし僕達は見ないようにする。君はあの星空のような人だから。空に満ちたいっぱいの星空のような人だから。僕は手を伸ばし、虚しく空を切り、地に落ちたままゆっくりと腐り落ちていく。空のような、星で満ちた空のようなと、譫言の様な愛の言葉を重ねましょう。僕は憎むよ。愛するあなたをやがて必ず失うこの世界を。それを認識してやまないこの自意識と唯識を。僕は心から憎悪するのです。

 いつか、明るい空を一緒に見よう。肩を並べて、寒さに耐えて。言葉少なに。一つきりしかないマフラーを二人で巻いて。星空は満ちて、時は過ぎるけど、僕たちは手を固く握りしめたまま、震える体を寄せ合って、このくらくあかるい夜を超えて、いつか、二人で。花は注がれ、色とりどりに満ちて。でもその最後を見ることもなく。星の瞬きばかりを二人で握りこもうとしながら、手は虚空を切って、落ちる。
■2018/06/24 『踵を浮かせて』
 今思えば馬鹿みたいだね。夜が明けるのも待てずにぼんやりと窓の外を見つめていた。指先は何もとらえずいた。覚めるまでの夢だなんてことは知っていたはずだね。立ち上がることだっていつだってできたはずなのにね。

 真剣な顔で「たましいのおもさ」なんてことを話した午後。夕闇はいつもよりも濃かったね。「あさがくればなにもかもいいかもしれない」なんてことを素朴に信じた。川辺の道を手を繋いで歩いたね。ああそうだ、昨日の夜、僕たちは田舎の片隅で、静かな農道を蛍に包まれて言葉少なに歩いたんだ。聞こえる? 未来には、そういった奇跡のような光すらもありえたのだよ。あの頃には想像することもできなかったけれども。聞こえる?

 ふざけたステップを踏んで、両手を広げたり振り回したりもして。零れ落ちてしまったものはもう見失ってしまっていて。夜空は片端から埋もれていく。君の顔を探そうとして、僕はその頬が濡れていることに気づいた。重ねられた手にはそれほどの意味はなかったのかもしれない。夜空を全部。光を一つ二つ。朝はまだまだ遠いのだ。過去から未来までの中間地点が今だとして、僕はそれを到底受け入れることなんてできやしない。

 僕達はまた夢を見る。踵を浮かせて。夢みたいな夢を。蛍の光のような夢を。いつか見たような、そんな夢ばかりを願って、爪先立って、少し無理して笑おう。
■2018/06/28 『シソーラス』
 大丈夫。君が今いるその場所はただそれだけの場所でしかない。頭をあげて深呼吸をしてぐるりと周囲を見回せば、本当に小さな箱でしかない。世界は広く、茫漠としていて、自由だ。青く赤く白で黒で灰色で百色でありながら何色でもない。僕たちが何者でもないように。大丈夫。その場所でいつまでも傷ついている必要はないんだ。

 どうしようもないことを理解できない人が立候補をして街頭で奇声を上げているこの世界。横目で通り過ぎるつま先は、どこに行く当てもない。政治や権利や経済や自由や正義なんてものを声高に掲げてあたり構わず攻撃して回る人が目立つ世界。発信すべきことは押し流され、受け止めるべき人はもう跡形もない。瓦礫の街に立って虹を探す。その落ちる先を探す。根元でもいい。なにか確かなものを手に入れたい。もうそれがどんなものだって構わない。確かに始まって終わるのだと信じていたい。突然降りだしたにわか雨になす術もなく全身濡れて立ち尽くした時、僕たちはいつでも原初に立ち返ったね。微笑んでスキップを踏んで、家路を辿ったね。肩が震える。寒気なのか、それとももっと美しい何かなのか。僕たちは髪を掻き上げながらこらえきれず顔を見合わせて笑ったね。

 ああ、この場所はもうどこでもない。どこでもある場所だ。狭い箱庭を抜け出して、瓦礫の街へ。押し流され失われた地平へ。僕たちは悲しく、自由だ。美しく、粗陋だ。質素でしがなくて薄くて下賎で賎陋でちんけで下等で低くて粗末で小さくて鄙劣で貧寒で穢くて些細で貧賎で賎しくて下劣ではしたなくて微々たるものでちっちゃくて賤しくて卑俗でけちくさくてささやかで陋劣で卑しくて賎劣で卑劣で卑賎で繰り返しなのだ。だからなに? 僕たちは笑い飛ばしてここから出ていこう。その場所を笑い飛ばして後にしよう。世界は途方もない。大丈夫。一緒に行こう。大丈夫。

 どこに行っても似たようなものなのかもしれない。ここで踏ん張る人もいる。最後がみんな同じなら、似たようなものでしかないのなら。シソーラス。僕たちは僕たちの世界を歩いて行こう。
■2018/07/10 『熱帯夜』
 ただ失われていくということに、本当はどうにも鈍感なんだろう。一度だけ触れ合う機会があった猫が死んだ。僕との間にそれほどの思い出があるわけではない。死んだということすらもWeb伝いに知った始末だ。数限りなく失われていくものの一つに、また何物かが付け足されたというだけなんだろう。ただそれだけ。テレビをつければ、数十年に一度の大雨で、目を覆いたくなるような被害だ。どうにもならないものにただ怯えて、無力感の中に眠るとき、蒸し暑い夜はただでさえ苦しい胸の中をさらに押しつぶす。

 「君は気づいてなかったみたいだけど、君の側にいる取るに足らない人たちにもそれぞれの人格や想いがあったり、好きな人がいたりもして、生きてるんだよ。君はそんなことにも想像が回らなかったみたいだけれども」。通り過ぎていく景色の中の全てに、意味があったなんてことを今更受け止めてしまうには、僕はあんまりにも脆弱だ。例えば打ち上げ花火のように、あまりに眩く、しかしどこにも残らず消えていくもののようなものであるならば、僕は見上げ、ともすれば涙することもできたのだろう。でも世界はどうもそういうものではないらしい。あの日、あの夏、砂浜につけた足跡はもう消えてしまっただろう。打ち上げ花火が消えてしまった後にはただ寝苦しい夜が広がっていた。光り瞬いた空は黒く塗りつぶされて、僕にはもう何も見えない。「君は知ろうともしなかったけれど、私たちは、私は、いつもここにいたんだよ」。

 夜が続けば、いずれこの熱帯夜も終わるだろう。夜空の全てを記憶しておくことはできない。夜空の全てを差し出して君に詫びることももうできやしない。いずれ終わる。ただ失われていくことが、望むと望まざるとにかかわらずここにある。打ち上げ花火は眩く咲いて、静かに消える。さようならを呟く暇だけを残して。

 鎮魂の祈りを込めて。さようならフランチ。
■2018/07/24 『季節は燃えて』
 十年も二十年も、時間は確かに過ぎ去ったのに、僕はいつまでもこのままだ。身の置き所は多少変わったかもしれない。でもこの身はそのままだ。変わりようもなく、ただ愕然としている。愕然として打ちひしがれ、自棄になって笑い、独り夕闇の中で自失する。軋んだ時間と気持ちだけが間違いなく僕の所有物だ。終わりの気配はいつでもそこにある。幼くして死んだ少女や、若くして死んだ青年や、年老いて死んだ祖父母や、何の理由もなくただ消えていった万象が、ただただそこにある。十年も二十年も過ぎたのだから、僕はここに置き去られてしまったのだから、もう何も分からなくなってしまってもいいのではないか。幼子のように拳を握り締めて泣きじゃくっていてもいいのではないか。先週僕が理不尽に枯らせ殺し尽くした庭の雑草たちのように、ただ赤茶けてしな垂れて枯れ果てて誰にも顧みられずに失われていくべきなのではないか。そうであるべきなのではないか。べきではないか。ではないか。そもそもそうであるべきというほどの意味なんて、始めから何もかもに存在していないのではないか。きっとそうなのだろう。僕の消えていった時間のように。薄れていく季節のように。ただ一つだけのはずであった幻の季節のように。

 季節は燃え上がった。世界は焼かれて夏の只中に入ろうとする。いくらかの死といくらかの詩。夏の終わりに、薄れていく夏影を見送る頃、僕もまた薄れながら、静かに燃える。燃え尽きるまでは燃え続けるのだろう。そうであればいいと願う。
■2018/08/05 『道が見えなくなって』
 ふと気が付けば道はどこにも見当たらず、唯々空間は茫漠としていて、無様に狼狽え、声をあげてみたり、見えるはずもない彼方を探してきょろきょろ見回してみたり、とうとう座り込んでしまう。それはただの現実逃避だ。ひたすら時が過ぎた後で、ようやくうなだれていた頭を上げると、実は道なんてものは初めから無く、本来広がり窮まるところのない場所を、自身の狭量がいたずらに狭め卑しめていたのだということにようやく思い当たる。思い当たり立ち上がろうとして、知らず萎えた手足と、年老いた醜い自己を知る。やがて夜が来る。やがて終わりが来る。霞む目はもはや世界を正しく認識しない。道は暗く足元は淡く。力なく伸ばした手はどこにも触れえず。あべこべに世界の広さに恐怖するのだ。その可能性の無限性と夢幻性に恐れ戦くのだ。そしてやっと気づく。自分を含めたすべてに等しく価値がないことを。価値がないということが本当の意味で平等で平坦で、なにものかになにかしらに価値があると口角泡飛ばし目血走る有象無象の記憶が、遠く霞のようなものになり果てていることを。

 夜は暗かった。黒。朝は赤かった。昼日中は目がくらみ、夕暮れは多層に重ねられたセロファン。道の端でクラムボンが笑っている。川底を満たす遠景のように揺れる瞬きのような光と影の中で、道を見失ったことさえ忘れ、流れを追いかける。輝く水面。遠い水面。浮かぶ果実の甘さを控え目に期待して、胸をときめかせて日を待ったんだ。いつかくるかもしれない成熟の日を。道がない場所で一人で。時々流れに抗いながら、萎えた手足を撫ですさって、光のようなものを待ったんだ。風が背中から吹いて、どこか遠くまで行ける日をひたすらに待つ。クラムボンが笑っている。森羅に意味は見いだせず、意味のないことの意味を大切に抱えて、僕たちは道の途中に座り込み、喪われていく。

 道は見えなくなった。元よりそんなものはなかった。この窮まりない場所で、窮まりながら、転げまわりながら、まだ僕たちは生きている。
■2018/08/23 『夏を終える』
 きっとずっと変わらないよ。僕たちはこのままでいられるよ。続いていくし、願いはかなう。違う世界を見に行けるよ。ここにずっといられるよ。いつか夜の魔法は解けて、夢の世界から帰る時が来ても、約束を忘れずにいられる。

 大人になることの一つの条件として、そんな優しい嘘を身につけることがあったのか、僕は知らない。今日を変えようともがいたのか、それとも変えないように足掻いたのか、今となってはどちらでも構わない。夜空は失われ、魔法は解け、世界はまだ続いて、僕もまたここにいる。二人はもうここにはいない。大人になれたのか。そんな自問すらももう意味をなさなくなった。醜い、見紛う事なき、僕は大人だ。

 夏は過ぎようとしている。夢を見た。波音の向こうに揺らぐ陽炎の果てに、消えていく白い幻影を追いかけようとして、僕の足は前へは出ず、ただ立ち尽くして俯き、子どものように泣くこともできずに、ただ茫然と無様な大人の顔をしてそこにいた。夏は過ぎてしまっていた。僕も過ぎてしまっていた。ありもしない喪失に周囲をきょろきょろ伺いながら、あさましく、笑った。足元に咲いていた白い花を手折り、しばらく眺めてから、それをそっと放った。何かの気配を遠くに感じる。夏は暮れて、白い花と鎮魂歌が穴の中に満ちる。そこに埋もれているものが、ああ、埋葬されているものこそが、あああ。そうだ、人生は美しい。美しいのだろう。

 優しいウソをつこう。なんてことはない。自分の為だ。優しいウソをついたら、少しだけ笑って、夏を終える。
■2018/08/26 『次の季節になろうとしている』
 雨が上がりました。憮然とした顔で君がそう告げたのはいつの夏の終わりだっただろう。天候不順をうまいこと言い訳にして、夏の残滓から部屋に逃げ込んで、やれやれビールでも開けるか、なんてことを考えていた矢先のことだった。空は不安になるような紅色で、千切れていく雲を金色に染めている。雨が上がりました。もう一度はっきりと君が念を押してきたとき、僕はとうとう笑い出してしまって、物を投げつけられたっけ。

 幾百の夕暮れと朝焼けに染まれば、僕は僕を見失えるのだろう。あらゆる色を失って、RGBの膨大な数値にめまいを覚えたこともすっかり忘れて、どうすればそんな風に掠れ消えていくことができるのだろう。雨上がりの夏の終わりに、不承不承サンダルを履いて外に出た時に嗅いだ空気を、それに目を輝かせてこちらを振り返った君の優しい笑顔を、どうしようもないそんな数限りない眩さを、どうすれば忘れてしまうことができるのだろう。夜の入り口に忍びやかな秋の気配を敏感に察知して、少し寂しく微笑みながら帰る道は、雨上がりの気配に満ちて、まるで世界の全てがここにあるかのような、そんな気持ちにさせた。そんな気持ちを、あらゆる感傷をどうすれば、どうすれば消し去ってしまうことができるのだろう。あの日、二人で借りて帰った古い映画のDVDの袋が、どんな色で揺れていたかも鮮明に思い出せるのに。夏はまた去っていくのに。去りきれない影がこんなにも強く揺らめくのはなぜだ。時は過ぎて、後ほんの僅かで次の季節になろうとしているのに。

 見慣れた帰り道。僕らの幼い頃からずっと流れ続けていた川の傍らを帰る。帰る事しかできないのだ。秋になりかけの風が時折強く吹く。また僕は一人だ。待つ人もなく待つべき人もない。無言で帰る。視界のすみに、小さく揺れる白い野花が目に入る。無意識の内に近づき、かがみこんで手折ろうとして、伸ばしかけた手が止まる。手を握り締め、胸に当て、ようやく泣く。
■2018/09/12 『finally we are no one』
 それをどこで見たのだか分からないけど、と前置きして、グラスに落ちる氷のような澄んだ響きで君は、「私たちは一つじゃない」というような意味の短い英文を口ずさんだ。僕はそれが、北欧のエレクトロニカグループが今年リリースしたばかりの、素晴らしいアルバムのタイトルだということを知っていたのに、どうしてだかそれを口にする気にならずに、窓辺に肘をついたまま「finally」と繰り返す君の後姿をぼんやりと見ていた。外はもう間もなく夜がやってこようとしていた。最終的に、僕たちは夜の中に埋もれていくだろう。最終的に、僕たちはそれぞれが独りであることを知るだろう。最終的に。今こんなにも強く抱えている一つの決定的な確信は、正しく終わりを示しているということなのだろう。いつの間にか自分の手のひらをじっと見ていたことに気が付いた。いつの間にか僕のそんな姿を君がじっと見ていたことに気が付いた。いつの間にか、僕は君に言うべきことを言わなくてはならない時が来ていたことに気が付いた。finally。最終的に。決定的に。最後に、終わりに当たって、ついに、とうとう。

 一つになれない僕たちは一人になるしかなかったね。人は誰もが独りさと強がって、かといって、人はだれもが繋がっているとかいう戯言には笑うことしかできなくて、神や愛や運命やその他諸々の俗悪的なものを持ち出す輩には、燃え燻る様な酷い殺意しか湧かなくて。生まれてきてしまった意味もとうとう分からないまま、僕たちは、私たちは、みんなは、一つではなく、ただそこにあって消えていくだけの、どうしようもない事象であることを噛み締めて。そうだね。私たちは一つじゃなく、強固な個であって、脆弱な個人だった。言うべき言葉を口に乗せながら、僕は外に夜が来たことを視界の中心で知った。そして、最終的に、僕は、視界の外に崩れていくものを見ないでしまった。

 浅い眠りを繰り返し、僕はもう自分の手がどこにあるのかも分からない。肩を並べて歩いたこともあったね。本当はそれだけでよかったのだろう。一つだとかなんだとか、本当はそんなことはどうでもよかったのだろう。終わりにあたって。今更僕はそんなことを言葉にし、苦く微笑む。やがて悲しむことも恐れることも畏れることもない場所に行く。ついに何もない場所に行く。終に、そんな場所に行ければいいと思う。本当に行ければいいと思う。
■2018/09/23 『笑い話し怒り、黙る』
 外出がますます億劫になっていく。うるさいと、そんな風に感じることばかり増えていく。加齢の為か、他にそれなりの言い訳があるのかはわからない。訪れた名もない飲食店で、中年を少し過ぎようとしている男性がテレビを見ながら世情を嘆いていた。彼らの中で、人情と常識は世の中から失われて久しいらしかった。僕はそんなことを大声で話す汚い言葉遣いを、聞きたくもないのに耳に入れながら、安価なのにもかかわらず、とてもよく工夫された食事を噛み締めた。

 こんな気持ちをどう言えばいいのか分からない。どうすればいいのか分からない。こんな気持ちは。黙って食事を終え、しばらくその工夫について考え、自分の中である程度の納得を得てから席を立ち、僕は家に帰った。陽射しの強い日だった。まるで夏が一日だけ帰ってきたかのようだった。まるですべてが正しいかのような青空だった。それはいつかどこかで見てきたもののようだった。いつしかどこかで見失ってきたもののようだった。

 僕はよく笑いよく話しよく怒り、よく黙った。やがて、黙っている時間が長くなっていった。いずれ、本当の沈黙を得た時、僕はやっと一息つき、静かに消えていくことができるのだろう。よく笑いよく話しよく怒ったことの意味もすべて忘れて。僕は世界を愛さない。僕は人を愛さない。ただその営為のみを愛する。静かに燃え尽きていくもの、波に浚われ掠れ消えていくもの、春の風の前の塵の如くもの、降り注いだ端から地へと消えていく青空の揺らぎのようなもの、切り倒された桜の老木のようなもの、ボクが手の内から数限りなく失ってきたものを愛す。数限りなく憎んだことその一切の苦痛が消えていく、その、いつかを信じる。
■2018/10/07 『ふと気が付くと』
 あらゆるものが僕に何かを言おうとしている。僕は立ち止まる。辺りを見回す。空を見上げる。地面に目を落とす。立ち尽くす。世界は何も言わない。あらゆるものはいつまでも沈黙している。しばらくそうして無様に凍り付いた後で、僕はまた歩き始める。どこか遠くで小鳥が鳴いている。僕が転げまわり張り上げてきた幾億もの叫び声は、血みどろの世迷言は、そんな小さな鳥の声よりも遥かに脆弱で、耳障りなものなのだろう。ふと世界の音に耳を澄ますとき、世界は一斉に押し黙り、僕が僕でしかなく僕が僕である限り夥しい空と海をいくら越えたところで僕であることを超えることはできないのだということを教える。そして、僕が僕であることにはなにも意味はないのだと。僕はそのことを嬉しく思う。

 不意に溢れ出す涙に戸惑うことはもう無くなってしまった。無くなってしまったことを数えることももうやめてしまった。音楽が静かに流れるように、自然であるということを自然のまま、受け止めては取りこぼすことができるようになって久しかった。道々の端々の諸々の精々を滔々と往々に早々に軽々として諦めたまま、確かに僕は大人になり、中年になり、悟り切ることもできず、ふやけた笑いを頬に張り付けたまま、酒を飲みこんではますます世界を遠ざけた。あらゆるものが僕に何かを言おうとしている。僕は耳を澄ます。世界は沈黙する。いや、そうではない。世界はいつでも語り掛けてくれているのだ。僕にそれを聞くための耳も覚悟も愛も不足しているだけのことなのだ。愛が不足している子供たちがどれほど傷つけられ、損なわれ、歪に曲がっていくかを嫌というほど目にしたはずなのに、助けられもせず、ただ見ているだけの無力な手をあれほど憎んだのに、僕は、ただ立ち尽くしているだけの、当たり障りなくどこにでもいる見慣れ切った醜い人間だ。

 小鳥が鳴いている。秋が来た。にぎやかな田園はやがて静まり返る。僕は世界に目をやる。世界はそこにある。僕が生まれる前から、僕が死んだ後でも。不在の後、静かな世界が続いていくことに、どうしてだろう、深い喜びを覚えてやまない。
■2018/10/30 『暮れ方の』
 空の遠さに秋を知りながら、暦の上の季節が間もなく冬であることにおののいて、秋という言葉を使うことに慣れもしない内にまた次の季節は来るだろう。空の果てには何があるのだろう。そんな、幼い頃の焦燥をふと思い出す。一抹の苦味とともに。ああ、世界は変わっていないのだろうか。それとも大きく変わってしまったのだろうか。変わったのはきっと僕なんだろう。そんなよくある一つの形式にはまり込んでしまった。事実を並べればきっとそんなところに過ぎないのだろう。吹き抜ける風に別れの気配を感じて、夕景を振り仰ぐ。

 やがて窓は閉じられるだろう。やがて扉は閉まるだろう。別れはきっといつでもこんな風だ。最新式のお別れの作法では、近隣への配慮という大義名分のもと、僕たちの愛しい人は本来のそうあるべき量の煙になることもできないから、雲や雨になって僕たちの上に降り注ぐこともないのだろう。唯々消えていく日々。間もなく冬は来る。秋を受け止める覚悟も決まらない内に、速やかに。お別れを言わなければならない。僕達はお別れをしなくてはならない。手を大きく振って、大きな声で、遠ざかっていかなくてはならない。ありふれた人生が終わっていく。ありふれた風情で。ありふれてあるということに、そうであることができた自分に、驚きを禁じ得ない。立ち尽くす僕の目の前をあらゆるものが通り過ぎていく。僕はそれら一つ一つに手を伸ばそうとしては諦める。せめてもと見苦しく別れの言葉を探しては流される。やがて窓は閉じられるだろう。やがて扉は閉まるだろう。焼き尽くされるとき、僕たちはいなくなる。その先が、その先なんてものが、存在しなければいいのにと思う。

 結局、君に言える言葉なんてこんなものだ。傍らに置いた手に絡められる指をそっと握り返して、夕景を眺めよう。僕達はなんて白々しいのだろう。世界は暮れる。秋は終わる。間もなく来る冬へ、僕たちは何を準備したらいいのか、それすらもまだあやふやなままだけれど、今はただ暮れ方の光の名残に身を流している。きっとそれでいい。
■2018/11/30 『見渡す限り』
 道が変わる。空が変わる。今年も繰り返し見上げた秋空がその気配を絶った頃、また冬が来た。新しい土地の新しい季節には戸惑うことばかりで、今は予想以上の寒気に震えている。やがてこの空気と季節と景観が身体に馴染む頃、僕はまたこの場所からいなくなるのだろう。本当に、時間の流れはただ早くなっていくばかりだ。毎朝対面する自分の顔に明らかな衰退を感じる。どこかしら、そして何かしら問題は起きている。これまで培ったものの乏しさでそれを乗り越えていけるのかはなんとも怪しい。例え乗り越えられなくても時間は進む。道が変わる。空が変わる。僕も変わる。

 諦めきれなかったことがただ一つでもあればよかったのに。最近はそんなことを考えることがある。忘れられないことが一つでも少なければよかったのに。そんな風にも考える。諦めも執着もどこにも持ち越せはしない。そんな風な言葉遊びで自分を慰める。窓越しに見る世界は静かで、またこんな風に冬が来ようとしている。そこに手を伸ばしかけてやめたことに、きっと意味なんてないのだろう。

 手の届くところの全部を手に入れられるわけでもない。変えることも、変わらないように守ることもできそうにない。諦めきれなかったことがただの一つでもあればよかったのに。空は変わった。冬空はあんまりにもきっぱりとしていて、もう、霞か雲かと迷うこともない。
■2018/12/10 『透明な空虚』
 必然性だとか蓋然性だとか持続可能性だとか。死へと向かう初冬の森の中でふとそんなどうでもいい言葉を思い出す。森の中で、生物が生まれ育まれ死に消えるのも循環だとかシステムだとか、そういった下らない言葉で矮小化しては喜んでいる人達から、ここは最も遠いのだ。僕を巻き込まないでおくれ。僕をそう言った小さな括りの中に組み込まないでおくれ。立ち眩みしそうな程の言葉の泥流が僕の意識を侵す。そして、汚らしく濁ったものにしようとする。逃げ続けて僕はこんなところにいる。指される後ろ指ももう影も見えなくなりつつある。溜息とともに吐き出された息は白く凍えていて、ああ僕は又こんなところで安心している。

 したり顔でつまらないことを言わないでおくれ。僕には僕と世界だけで十分なんだ。衰えていく四肢、衰えていく意思、衰えていく怒りを、抱えていくことに満足しているんだ。本当に満足しているんだよ。僕は歩く。凍てついた土を踏んで。僕は歩く。秋の名残の思いがけないほどの色彩の上を。僕は歩いて、いずれ力尽きたい。透明な空虚の中で。
■2018/12/13 『繰り言』
 やがて消えていくものをぼんやりと見ている。もう消えてしまったものをぼんやりと思いだす。言葉も気持ちも面影も眼差しも鼓動も体温も消え去ってしまった。残り香のようなものをぼんやりと探す。交差点も店舗も河川も駅のホームですら形を変えてしまった。ぼんやりと自分が何を考えていたのかを思い出そうとする。しつこく繰り返し思い出そうとする。ぼんやりと思考は消え失せる。冬の青空は遠すぎて、僕にはもう、それがかつて見たものと同じかどうかすらわかりはしない。

 凍えながら立ちすくむなんでもない存在の上に、当たり前のような顔をして夜が来る。地上には霜が降り始める。ふと頭上を駆けていく流星を認めた。震える舌は声にならず、ただ弱々しい腕をそちらに伸ばす。流星は消える。それを追いかけて巡らせた視線は、やがて世界と出会った。世界は凍える存在に優しくはない。ひたすらに厳しく、痛く、苦しく、しかしなぜか存在はそれを憎み切れない。消えていった流星を思った。消えていった色んなものを思った。消えていった全てに、やがて手を振ることを決めた。当たり前のような顔をして自分を傷つけるなにもかもにそっと足を下ろして、また空を見上げようと思った。それに意味があるのかどうかなんてわかりはしないだろう。意味なんてありはしないのだろう。意味は、自分で見つけ、自分で作るものでしかないのだ。意義は、自分でそう信じるものでしかないのだ。

 幾ら言葉を重ねてもいつかの青空には届きはしないだろう。トートロジーとかいう名前の言葉遊び。重ねるほど重く濁るだけのあさましい遊び。繰り返すほどに自分を傷つけるだけの冗語をしかし止められず、凍えながら同じ空を見つけようとする。
■2018/12/27 『暮れの辞』
 空が明るい。空気が美しい。遠い山々はなんだかはっきりと青みがかっている。冬だ。疑いようもなく。同じ道を行きすぎては同じ道を辿って帰る。左右に流れる枯れた田園を見るうちに、頭上に流れる澄んだ青空を見るうちに、段々と失われていくあらゆるものを見るうちに、僕は、自分が何者で今どこにいて何をするべきで何をしたくてこんなところにいるのかまるで分らなくなる。足元で凍り付く黒々とした道は現実なのだろうか。視線の先に豊かな風情で揺れる南天の実の鮮烈な赤さは現実なのだろうか。哀れで無力な子供でしかなかった僕の見ている長い夢なのではないだろうか。ふと気が付いて寒さに襟元を合わせるとき、僕は、これが正しく現実で、正しく冬の中にいることを知る。正しく冬の美しさを確認する。

 今年もどうやら終わるようだ。何かしらの成果をそこに見出すことはずいぶん前にやめてしまった。何かしらの意味や意義であれば無理やり捻り出すこともできるだろうが、僕はそれを求めない。少しずつ歩き慣れてきたこの地域の道を黙って行き過ぎる。少しずつ見慣れてきたこの地域の川を黙って見下ろす。そんな小さなことだけが僕にとって大切らしい。

 先日、あまりに寒い晩に、戯れに玄関から外に出て、ふと見上げた月と星々がとても美しかった。君を呼ぼうとしたけれど、君はどこか遠くにいるようだった。あの月は僕の中に残った。僕だけの中に。どのような庇にも月も星も来るのだ。古く小さなこの平屋の貸家で、僕は静かに救われている。どうやらそれでいいようだ。これからもきっとそれで良いのだろう。これからもそれがずっと続けばいいのだろう。それだけを願っている。時々、君に美しいものを見せられたら、と思うけれども、残念ながらここには僕一人のようだ。僕だけの中に暮れていくものをそっと握りしめたまま、夢の中を泳ぐようにしてまた一つ年を終える。
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