log 2022
■2022/05/06 『さらさらと流れる』
 春の小川はいちめんのなのはなに彩られ、陽射しに照らされて黄金色に輝いていた。音もなく流れるそれをしばらく見やった後、側道を歩いた。春の空は静かで、豊かだった。どこかで鳥の盛んに鳴く声が聞こえたが、姿は見えない。明るい日の光の中で歩けば歩くほどに、自己の消える心地がした。

 あらゆることは刷新された。そのはずだ。人の営みだけがそれに乗り遅れてしまっているようだった。人のいる場所へ行けばいつでも酷く聞き苦しい様々な声が溢れ出ようとしていた。耳をふさぎ逃げ込んできたこの田園の中の静かな道には、それらの汚辱は届かないようだった。春の盛りを越えて、初夏のような陽射しを湛えたこの視界が、この境界が、如何に僕を救い続けてきたか、繰り返し繰り返し僕は言い募ろう。如何に僕が春を愛しているか、繰り返し繰り返し歌い上げよう。

 つと、強い風が吹き抜けていった。一斉に揺れる花々と、季節が、少し汗ばみ始めた僕をも揺らした。春は来た。春は行く。一切と共に。春の小川が流れるように。あらゆる花々が咲いては散っていくように。繰り返し繰り返し繰り返されてきたそのままに。さらさらと。
■2022/05/28 『彼岸へラブソングを』
 愛することさえ許されない子等と共に流れる。彼岸を目指して。いくら目を凝らしても川幅はぼやけて、遠い彼方の靄の中に消えて行く。もしすべてが許されるなら。僕は全てを許さない。仮にすべてを許そうとするものがいるとするとして。それをこの子たちも許さないだろう。青く流れる川辺にやがて日は落ちようとする。僕の周りにいた子がはたして何人だったのか、もう僕は思い出せない。赤く染まる川辺がやがて黒い沈黙に沈むのを今日もなす術もなく見送る。

 愛している、という言葉を口に出すことさえ許されない子等と共にいる。その気配を感じただけであらゆる美しい人々は、まともな人々は、普通の人々は、当たり前の人々は、酷く顔を歪めるのだ。まるでそれが当たり前のような顔をして。言葉にならない気持ちをぐしゃぐしゃに握りしめて声も無く泣く子どもたちを、しかしながら人々は、醜いと罵声を浴びせることに何の躊躇もない。世界中の愛の歌を血眼で集めよう。目からも口からも心臓からも出血しながら、血眼で僕は探す。僕たちのための歌を。また日が暮れて夜が来る。僕たちはなにも見つけられないまま、見失うべきものではない物をまた見失う。視界の端で花が落ちる。冷たい川に身を浸して流れて行ってしまう。気が付けばまた黒い沈黙が辺りを包む。

 繰り返しのあくる日がもし来るのなら。そんな夢を見て眠ろう。愛している。そんな言葉を抱いて眠る。体中から吹き出したっきりもう戻ってはこない物を一つ一つ数えるうち、また同じような朝が来る。歌を歌いたい。それは醜い歌だ。見るべきところのない、美しい人々に踏みにじられ続ける醜いものたちの愛の歌だ。誰にも顧みられないまま、喚き呻きながら作ったどうしようもないラブソングだ。僕は全てを許さない。許すことなんてできるはずもない。川は流れる。彼岸はまだどこにも見つからない。

 流されて行ってしまう君へ伸ばした手はいつも通り届きはしなかった。俯いた君がふと顔を上げ、僕を見た。そして微笑んだような気がした。世界は止まる。世界は動き出す。世界は暗転する。川は流れる。それはまるで、いつかどこかで見た優しい映画のエンドロールのようで。
■2022/08/21 『僕はまだここに』
 はかばかしく馬鹿々々しい日々は続く。焦げ落ちた夏の日の影を見下ろし、嘆息し、日は翳り、どんな感傷も残ってはいないし、強がる言葉は虚しく響き、汗ばむ体を持て余し、泣くこともできないまま涙だけは勝手に流れ。日々は流れ流れて、僕は止まり留まり続け、そしてそれにさしたる理由も無くて。ここはどうやら夏の芯だ。焦げ付いた自分の影の醸し出す断末魔の様な馥郁たる香りを肴に、氷で満たされたグラスに満たされた強い酒を満たされないまま飲み干し、燃え尽きてしまいそうな日の名残りの中で、すがるような気持ちで青藍な夕暮れを待つ西空に三千丈の大観音が屹立するのを見た。素晴らしい夕立の気配がある。やがて空は曇るだろう。僕の頼りない矮小な腕は大気をなぞるだろう。手に持った盃は粉々に崩れるだろう。なんとしたことだ。あらゆるものはすべてあるがままだ。すべてははかばかしく、馬鹿々々しく、美しく、その実なんということもない。素晴らしい夕立が流し切ってしまう何かを、弔う言葉を、しかしながら僕は、はかばかしい僕は、持ち合わせてはいない。十分に弔いたい。もう何も食べられなくなるほどに息詰まりながら、行き詰まりを祝福したい。ありとあらゆる怨嗟を忘れて喝采を叫び、薄れていく色彩と夕暮れへの沈痛な憐れみを表明したい。それはある種の渇望であるのだろう。それはある種の希望であるのだろう。そこには何一つ展望はないのだろう。幸福な時間の中で、なぜだろう。胸の内にある嫌悪を消すことが出来ない。成層圏まで屹立するあのなにかが僕を押し流してしまうのを切望している。そんな他力本願な中年になってしまった自分に深く高く失望している。

 日々ははかばかしく過ぎる。そうあるように、そうでしかないように。退屈な欲望をひけらかさないでくれ。永遠じゃないものに、刹那じゃないものに、それほどの意味はないってこと、知らないわけじゃないんだろう? そして永遠なんてものが存在するわけないってことだって、とっくにご存知なんだろう? 焦げ落ちた夏の影を爪先でほじくったよ。そこには湿った悔悟しかなかった。なかったんだ。追い抜かれたものよ。凍り付き、焼き尽くされたものよ。置き去りにされてしまった夏の日よ。存在したはずの世界の果てにかつて待っていたものよ。僕は、まだここにいる。ここで、ひとりでに流れ落ちた涙に一人困惑している。
■2022/12/31 『また一年は終わる』
 朝目覚める。カーテンを開けてみるまでもなく、今日はとてもいい天気のようだと感じる。洗濯機が回っている間、少しギターを弾く。今年買った小さな機材の音の良さを再確認する。ギターは何年弾いても飽きない。飽きないことに喜びを覚える。洗濯物を干すために君を起こす。洗濯物は寝室を通って外に干すから。君が寝ぼけ眼で「今日も寒いね」と言う。そのなんでもない一言に不思議と可笑しさを感じて、僕は「そうだね」と当たり前の返事を返すことしかできない。洗濯物を干し終え、各々が身支度を済ませるともうお昼だ。いつの間にか10数年もの間乗り続けている小さななんでもない軽自動車に乗り込み、出かける。小さな地方の町の、片隅にある小さな食堂で今年最後の昼食を摂り、非常に満ち足りた気持ちでまた車に乗り込む。近くのお店で幾つかの買い物を済ませた後で、予約していたお節を、やはりその小さな町の中の小さなお店に取りに行く。小さなお店は普段の静かな様子が信じられないほど活気に満ちていて、幾人もの人々がやってきては大きな荷物を持って笑顔で帰っていく。レジで名前を告げ、お金を払い、お節を受け取り、やはり僕たちも笑顔で店を後にする。すべての用事が済んだことをお互いに確認し、帰路に就く。

 車窓は静かに流れる。風は少し強く吹いているようだ。控え目な音量でオーディオから音楽が流れる車の中にはその気配だけが伝わってくる。空が青い。山々が青い。雲が白い。遠くまで続いては消えて行く。喜びも、悲しみも、全てはこの小さな車の中に存在している。時折ふざけてお互いの頬に触れてみたりもする。僕たちは生きている。少し冷えてしまった指先に確かにそれは響いてくる。僕たちは家に帰る。また一年は終わる。僕たちは生きている。また一年が終わる。
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