log 2010
■2010/01/19 『夕焼けを見ようともせずに』
 日は暮れて、今日はもう次第次第に夜になるだろう。俯く靴先に乱反射する赤は、僕に遠い情景を思い起こさせる。十数年前、部屋の中を、そして君までをも色濃く染め上げていた。今、目にするどんなものよりも鮮明に。
 散々に弄んでいた言葉も、他人の心も、自分の未来も。燃やし尽くされていくかのようだった。
 言葉を削ぎ落としていくほどに僕は自由になる。自由になるほどに僕は孤独になる。「ありがとう、もういいんだ」と君が言った意味を、考えることすら億劫で、意識の外に弾き出せば、飛べるわけでもなく、ただ一日が終わり、夜に沈み込んでいた。
 夕焼けを見ようともせずに、ただ肌で感じている。二人の視界はもうどこもかしこもくれないだ。くれないだったのだ。どこにも行けなくなるような色だった。どこにも行けないと思いこみたくなる温度だった。しかし赤はやがて薄れ、藍。身は冷えていった。見ようともしなかった夕焼けはいつの間にか両手から零れ落ちていた。
 今日は暮れて次第に夜になるだろう。黄昏の中を跳ねるようにして歩いていく影が、幻のように甦る。あの河辺の道。でも幻はやがて消える。藍色に包まれて僕は今日も途方に暮れる。
 今日は暮れて、また長い長い時間が過ぎるのだ。気づくために必要な君の重さや匂いは、どうもどこかに置いてきてしまったらしい。そして僕もまた老いていく。そしてまた夜が来る。夕焼けを見ようともせずに。夕焼けを、見ようともせずに。

■2010/02/15 『手紙が届いたら』
 封を切らずに、そっとしまっておこう。時が来るまで。こんな手紙の内容が本当の意味で必要なくなるまで。どこかに忘れ物をしてきてしまったかのような不安な気持ち、そっと押し殺す。
 窓辺に陽射しが揺れていた。冬は終わろうとしている。−7℃なんていう数字を故郷のこの場所で見せてくれた、今年の冬も逝こうとしている。今年に入って酒はやめてしまった。職場の中は子供たちの明るい笑い声に溢れている。僕はそんな場所から、今の自分から最も遠い場所を考える。一番遠い時代を考える。過ぎ去ってしまった時間を考える。考えて、停止する。停止して、死にたくなる。
 過去、未来の自分へ宛てて書いた手紙が幾通かあって、その中の二通ほどはすでにもう指定していた年齢を超えてしまっていて。僕はその封を切ることも出来ずに、いつか、を待っている。僕を切り裂く物、滅茶苦茶に踏み潰す物、なんだか熱に浮かされたみたいになる物、この中にはそんな物が沢山沢山詰まっているのだろうけれども、僕は決して開けてみようとはしない。開けて見られるはずも無い。押し殺した気持ちは断末魔を上げて二度と戻っては来ないだろう。こうやって磨り潰してしまえば少しは楽になれるかと期待していた。いいや、していなかった。そんなことですらも織り込み済みだった。何が良くて何が悪いのか何をすべきで何をしなくてもいいのか、これは、誰の為の声で、誰の為の腕なのか。織り込み済みだ。再確認の終わらない金太郎飴なんだ。ああ、それにしても。
 陽射しが優しい。揺れて微笑む。僕は、また手紙を書こう。しかしそれは未来の自分を責め苛む物ではなく、ましてや現在の自分を悪戯に褒め慰める醜悪な自慰その物でもなく、春を迎え入れるための、何か、美しい物の為に、僕はまた手紙を書こう。思い切り良く、どこかどうしようもない優しさで書こう。ここから去りし人があんなにも振ったパラソルのように。

■2010/03/24 『春かげろう』
 夜は砕けて、僕は疑心暗鬼。寒空も終わった冬の末期を見届けに、真っ暗闇の彼方を目指すのさ。玄関を出る為のエネルギーは、折り重なっていく年齢とかいうやつに随分磨り減らされているけど、一つ気合を入れて踏み出すのさ。
 春はそこまで来ている、桜は間もなく咲く、僕はいつまでも変わらずここにいる。先日、十数年来の付き合いである友人の(ああ、その付き合いの始まりはなんと小学三年生の春にまで遡るのだ)、笑顔と共に突如現れた深い目尻皺に、内心、自分でも驚くほどの強い衝撃と狼狽を感じながら、それでも自分だけは変わらないのだと、言い聞かせてもいる。自己暗示にも似た、いやそれは既に間違いなく立派な自己暗示である強迫観念に苦笑しながら日々を乗り越えるのだ。これまでもそうしてきたようにだ。
 間もなく花は咲く。夜の道は今日も僕に優しく、そっと両耳を、両目を、泣き言だらけの口を塞いでくれる。僕は朝を待とう。そして僕は凛々しく立ち、背筋を伸ばして春を迎えるのだ。河原の道に並び立つ桜並木を仰いで、今年もまた一つ年を取るのだ。春かげろうにも似た、握るコブシに未だかろうじて残る強さを幾度も幾度も確かめながら。

■2010/04/16 『帰路を翻って』
 窓の外はいつの間にか今日も夜になっていた。うつむく僕はいつの間にか大人になってた。太陽はいつ沈んだのか。夕焼けを見ようともしないまま、僕らは没した。
 帰路は青く、長い。見つめるつま先の向こうには永遠に辿り着けやしないだろう。ポケットの中で握り締めていた指はいつしかほどけた。何度も何度でも叫べると思っていた声はいつしか枯れた。歩きなれてしまった帰り道は遠く長い。「本当はどこに行きたかったか」なんて、怖くて、思い出せるはずがないだろ。
 曖昧にすれ違っていった人々を思い返すたび、どうしようもない気持ちになるのは何故だ。路傍に咲く春の小さな青い花のように、酷い汚名を着せられながらも、僕らは僕らであり続けられればそれで良かったのに。僕らであり続けたいと、あんなにももがいたのに。確かに花は咲いたのに。確かに一度はあの手を掴んだと思ったのに。
 夜は来てしまった。ああ外はすっかり夜が。来てしまったけど、来てしまったのだけれども。僕は大人になっても、未だこんな風に胸の痛みを覚える。帰り道は青く長く遠いけれども、微かに明るくもあるのだ。僕は翻り、探す。行ったことのない場所を。大人になってしまった足は、しなやかではないだろう。ポケットの中の手はもう一度握りなおすのだ。つま先の向こうにはやっぱり辿り着けそうもない。枯れた声はもう高らかに歌えそうもない。夜は怖い。怖いけど優しくもある。僕は青い路を辿り、もう少しだけ歩く。震える足を叱咤しながら、もう少しだけ、歩く。

■2010/04/24 『花も見つからないまま』
 綻ぶ気配の無い花を待っている。春はもうやってきたのに。呆然としたまま待っている。少しかじかむ。冬の名残がまだ指先に残っているようだ。
 開く気配の無い死を待っている。僕はもうこんなに年をとったのに。立ち上がる気力も無いまま待っている。少し震える。生への執着はまだほんの少し残っているらしい。
 あれや、これやと名前をつけて回った。知らない物を一つでも減らしたかった。それなのに。新しい呼び名を考えるたびに、古い方から残らず消えて行った。
 花を待ちながら。春を、君を待ちながら。何が悪くなったのかを考えながら。また時間は過ぎてしまったらしい。返り見すればどこかで見たような夕焼けだ。どこかに置き忘れてきたような黄昏だ。伸びていく影を踏んで歌えば、あの日に帰れそうな気さえして、胸が抉られるようだ。
 死を待ちながら。それでも時折思い出してしまう君の名前を叫ぶのを止められないまま。どうして悪くなってしまったのかは結局何一つとして分りもしないまま。僕は確かに大人になった。夕焼けの向こうに何があるのかを知ってしまった。雪が溶けた後の、どうしようもなく暗い色を知ってしまった。ああ、次の季節がやってくる。花は咲き乱れ、僕はぬるめく光の中で気が違っていく。
 春の気配は満ち、陽射しは揺れた。遠い幻に手を振って駆け寄りたかったけれど、何度もそうしようとしたけど、そう出来ればどんなにいいかと願ったけれども。
 花を待っている。僕の中の花も見つからないまま、こんな風な気持ちに名前もつけられないまま。

■2010/05/24 『五月雨に歌えば』
 五月は今年も去ろうとしている。いつも無言で去っていく。瞳の奥に、鮮烈な残照を焼き付けて。強い陽射しの中で緑は揺れて、春の到来を、それどころか、夏の予感さえも感じさせるのだ。
 職場ではここのところ、外に一日中いなくてはならない用事が重なってしまい、去年に引き続き今年もすっかり日焼けしつつある。夜になり、風呂上りなどの思いがけない小さな空白に、ふと我に返ると、日々浅黒くなっていく腕や首元をぼんやりと、不思議な気持ちで眺めてしまうのだ。この健康的な色合いが自分のものとはどうしても思えず、鏡の中に写る三十路間近の疲れた男の顔が、自分のものとはどうしても認められず、泣く気力も無く、いつまででも眺めてしまうのだ。
 今夜、窓の外は雨が降っている。優しく、遠い音で五月雨が降っている。窓を開け放つ。闇の向こうに何か聞こえたような気がして、耳を澄ましてみたけど、長いことそうやって何かを待ってみたけれども、どうにも、何一つとして手に入れられることは無かったから、僕は、小さな声で懐かしい歌を歌う。その歌は、あんまり撫で回すように慈しんできたせいで、もうボロボロなのだ。色褪せ、朽ちかけ、原形を留めず、最早、それがどんな形と焦燥を持っていたかを、僕はどうしても思い出せない。それは、まるでついさっき通り過ぎてしまった春の気配と同じ物のようだ。
 僕は歌う。五月雨の向こうに。向こうにあったはずの何かに。どうしてその歌じゃなくてはいけなかったのかを、思い出せずにいるままで。ああ、そう、こうやって五月雨に歌えば、歌い続けていればきっと、僕はそのうちに自然に泣くことが出来るようになるのではないか。泣けることで自分を許し、その時こそ沢山の醜い自我と業に別れを告げることができるようになるのではないか、と、そんなことを夢見ている。
 五月雨に歌えば。でも、多分。この僕の歌に応えるものはきっと永久に無いのだ。

■2010/06/14 『ねえ』
 ねえ、と呟いて、何も言うべき言葉を持っていないことに気づいた。僕の肩は随分前に落ちていたし、もう一歩、たった僅かの一歩を更に踏み込む為の余力は、とっくにどこかで使い果たしていた。口を半開きにしたまま、視線を泳がせ、曖昧に、醜く笑う僕の顔の前を、沢山の他人が、それぞれ他人の顔をして通り過ぎていった。
 ねえ、僕はね、君に伝えたかったことがあるんだよ。どうしても伝えたかったことがあるんだよ。一言も漏らさず伝えるまでは死ぬことさえ出来ないと、そんな風に思いつめていた夜もあったんだよ。でも今となってはどうだろう。僕の口は開いたまま閉じることも出来ず、足元には影が伸びていくばかりで、持ち上げる腕の力もなく、その手を握ってくれる人も無い。雨上がりの空にはきっと虹が出るはずと信じながら、ほんの少しの間も待てずに豪雨の中に消えていったかつての恋ですらも、僕は言葉に綴ることが出来ずに大人になってしまった。
 ねえ、僕は結局誰に何を伝えたかったのかな。誰に何を期待していたのかな。ねえ、僕はどうなりたかっただろう。ひたりひたりと裸足の足元で濡れる暗い道は、延々と続く怨嗟のように僕の心を蝕んだ。一つ一つ足を踏みしめるたびに冷たく痺れる獣道に、足跡を付ける事も叶わず、下草は薄い皮膚を傷つけ、隙間から何か、どうしようもない物を僕に注ぎ込んだ。
 ねえ、ごめんね。ねえ、もういいんだ。ねえ。眠ってしまう前に、僕はいつでも一つだけ悲しいことを思い出す。いつもこんな夜だった。「こんな」夜を、誰にも伝えられないままだった。「こんな夜」に、僕は言葉を失くし、枕に顔を埋めながら、夢が、少しでも早く僕に訪れることを願う。

■2010/07/21 『告別、陽射しに焼かれて』
 陽射しが強すぎて、かえって周りは見えないんだ。真夏日というお天気用語はかねてより知ってはいたけど、猛暑日なんて言葉には縁遠い方が良かった。連日続く酷暑に気が遠くなりそうになりながら、僕は黙々と仕事に出かけ、書類を片付け、備品を整理し、同僚と歓談しては時に愛想笑いまでこなす。苛烈すぎる日の光はそんな僕の姿を克明に浮かび上がらせては、それ以上に濃い影を足元にまとわりつかせていた。
 夏が始まる。いや、本当は随分前にそれは到着していたのだろう。明日から三十日超にも及ぶ、典型的日本人としての社会人にあるまじきロング・バケーションは、あくまでも僕個人の予定でしかなく、四季や、気圧配置や、あろうことか梅雨明け宣言様にとってみれば、勘案するに足らぬ些末事だ。
 でも、ああそうだ。僕の夏は始まるのだ。確かに始まるのだ。奇妙なことに、そして、何だか叫びまわり転げまわり怒鳴り散らし痙攣しつつのびてしまいたいほどに、これは僕にとって二十代最後の夏にあたるのだ。ああ僕は、そうだ僕は、二十代最後の季節を消費していく途中なのだ。
 陽射しが眩くて、眩しすぎて、上手く目が開けられないよ。みんなはどこに行ってしまったのだろう。先日、サッカークラブチーム時代のチームメイトが自殺した。でも僕は目が開かないから、手探りで進むしかないから、そんな悲しいことには気づかずにいられるんだ。さようならも告げずに君は去った。さようならも告げずに夏も去っていく。さようならも告げずに僕もまた消えていくのだろうか。足元にしつこくまとわりつく影を振り払えもせず、強すぎる陽射しに、時折、顔をしかめながら。
 ああ、忘れていた。僕は一昨日、とうとう普通二輪の免許を取ったんだった。今、バイクを探してもらっているところなのだった。そう遠くない日に僕はそれを手にするだろう。二十代最後の夏に僕はそれを抱きしめるだろう。そして、最早萎えてしまった足では難しいだろうことをしよう。大きな鉄の塊に頼りなくしがみついて、僕は過ぎていく物を追いかけていきたい。君を、季節を、胸中のわだかまりを、足元に伸びる暗い影を、他にもとてもここでは書けないような物を、追いかけて、追いかけて、いつか、追い越せたなら。
 その時こそ僕はきっと、陽射しの中で上手に笑える。

■2010/08/24 『ハローサマー、グッドバイ』
 記録的な猛暑で終わりそうだ。僕の黒いYAMAHA YBR125は、目前に揺れ続ける逃げ水を追いかけながら、ひたすらに田舎道を滑り落ちていく。時折現れては後ろに飛びすぎていく街頭気温計に、38℃なんて数字を見かけたりもするけど、きっとあれは夏が見せた小さな悪戯のような幻なんだろう。
 夏が来て、恐らくは間もなく終わるだろう。目が眩むほど沢山の期待とCDを持って北海道に行ったことも、怪我のせいで海水浴にも川にも山にも行けなかった事も、始まったばかりの仕事をずる休みして行く今週末の福島旅行も、全て思い出になっていく。
 ああ、今度こそ何かが見つかりそうで、どうも今年も駄目だったようだ。僕の手は、夏の表を上滑りして秋へと落ちていく。陽射しが強すぎてどうにも踏み出すべき場所が見えなかったのか。日焼けしすぎた肌が痛みと倦怠を僕に与え続けたからなのか。うだる気温に思考が緩やかな麻痺を続けたからなのか。言い訳は幾らでも思いつく。ただ、変わらぬこの手の平の空白だけは覆りそうにも無い。
 夏が来て、そして去っていく。僕は手に入れたばかりのバイクでどこにでも、どこまでも駆け巡っているけれども、どうしても見つからない物があるんだ。宮沢賢治の童話に出てくるような、それは気狂い達の好みそうな薄甘い醜悪なユートピア。イーハトーヴよ、僕は君に辿り着きたい。そして全身全霊の祝福を籠めて、考えられる限り最大級の醜い手段で無惨に全てを焼き払ってしまいたい。
 FUELゲージは随分前にレッドゾーンに入っているのに、僕のバイクは粛々と、時折泣き叫ぶような音を奏でてどこかに走っていく。僕が欲しい物はなんだ。どこに行こうというのだ。どんな山奥にも、どんな絶海の果てにも、既にどこもかしこも誰かの姿があって、僕はそれを、自分で死にたくなるほど嫌悪するのだ。夏は来て、そして去っていく。グッドバイ。僕は後幾度それを告げなくてはならないのだろう。別に構わない。羽を広げる孔雀のような鄭重さで僕はそれをしよう。
 夏が終わる。僕の二十代と共に。この夏の始まり、七月の初めに、僕は県美術館でピカソを見た。だからもう大丈夫だ。だから、もう大丈夫になったのだ。退屈な上辺だけの装飾には惑わされない。僕は見据える。見据えようも無い物を。

■2010/09/30 『篝火』
 上滑りしながら日々を終えていく。ちゃんと夏を終われなかった。ちゃんと秋を始められなかった。中秋の名月とやらは厚い雲の向こうに追いやられて、それは何だか退屈な比喩の様ですらあったけれども、僕は激変していく気候に悩みつつ考える明日の服の重ね方の方が余程心配だった。
 先日仕事で山に登った。夜、僕達は大きな火を焚き、いつから繰り返されてきたのかを考えることさえ億劫な、よくある山の行事を粛々と行っていた。踊り狂う160名もの小さな影の輪の外で、しかし僕は、中空をぼんやりと見つめていた。篝火から放たれる蛍を見ていた。燃え尽きた瞬きがやがて音も無く降雪する様を見ていた。背景には大きな、大きな山があるはずだった。僕はあんまり深い闇に目が潰されてしまったかのようだ。視界に映るもの以外への感傷は一先ず勘定に入れる暇も無く、痴呆の様に口を開けて、消えていく灰の切片に手を伸ばしては裏切られた。
 篝火を焚いて、僕らは回る。やがて燃え尽きて、誰もいなくなる。目が回るほど繰り返されてきたことを戯れになぞったら、遠くで何かが弾けたような、そんな幻視が襲ってきた。篝火を見つめながら僕は、またどうしようもない物を探していた。篝火を見つめながら僕は、その実、そんな炎なんてこれっぽっちも欲しくないことにもう気づいていた。篝火を見つめていると、やがて幾人かの子供たちが僕の手を引いて、輪の中へと誘った。篝火に燃やし尽くされない様に、僕はステップを踏む。それは酷くたどたどしくて、どうしようもない。

■2010/10/31 『あてなく待てど』
 あてなく待てど、中々実感の伴わぬ秋の最中にいて、それはとうに名前も忘れた古い友人の便りを待つ心境にも似ていて、時折見せる気まぐれな青空のように清虚な日々の越し方だ。
 過ぎた季節に青臭い何かを期待していたわけでもないけど、胸底に何も残らなかったのは、いかにも自分らしくて残念だ。
 秋は何かを諦めていく季節だ。握り締めた両手を離すのはどうにも寒々しいが、返す手で掻き寄せるすっかり草臥れた襟首が、あんまり似つかわしくて、いっそ微笑むことが出来るから、微笑むことでまた一つ何かを諦められるから。
 いっそもっと早く、全て立ち枯れてしまえばいい。乾き切った凍れる雑木林で僕は、容易く吊り下がることができるだろう。頭痛に呻く末期患者のような頑迷さと喜劇的装いで、唸りを上げる偏西風に、見るも無残に揺れ続けたまま、思考を停止して。
 道を通り過ぎていく誰それに、何の関心も覚えなくなっている事に気づいた時には、全く同じような自然さで季節も既に失われてしまっていた。
 あてなく待てど。僕はまだ新しい空景色を待っているけど。さあ、ステップを踏んで出かけよう。いつもの川沿いの道を過ぎて、冬枯れに揺れる平原へ。
 後に続く足跡、消されながら。

■2010/11/21 『翳り行く部屋』
 どうしようもない事を考え続けたまま大人になった。伸びた身長や両腕では捉えられない物を幼い頃から見つめ続けたまま、少しずつぼやけた。
 清濁併せ呑む事が粋だと思い上がったまま、腹下に澱みだけを目一杯溜め込んで。
 翳り行く部屋の中で、ああ、僕もまた暮れて行く。大人になる事への幻想を抱けもしないまま、やはりこんな風にかげりゆく。過去に置き忘れてきたはずの友に遇えば打ちのめされ、未来の一つも約束できないでいる愛しい人に逢えば力無く笑み、独りの時は泣けもせず、あてなくさ迷い歩く気力も無く、肯定も否定も無いまま灰色に埋もれて息詰まっていく。
 淵に立った時に思い出すのは、どうしてかいつまでも嫌な思い出ばかりだ。正しさだけが胸にあった幼く無力な時代の、それだからこそどうしようもなかった嫌な傷跡だ。大人になり、その幾つかにはどうにか抗えるようになっては来たが、拳を振り上げる度に、いっそ淫らなほど幾重にも絡まる悪趣味な走馬灯が、僕の意思ごと粉砕し尽くすような無節操さで、必要以上に強く、ああ、強く振り降ろしにかかるのだ。やがて足元に転がる「結果」という名前の不完全が、恨めしそうに僕の影に噛み付く。
 どうしようもない事を、どうしようも無いまま終わりたくなくて僕は大人になったはずだ。いや、結局は「結果」として大人になっていたんだろう。伸びた筈の僕の腕はしかし落ちて、翳り行く部屋の中で僅かに床を掻く。
 僕は立ち上がりたい。吠え掛かりたい。すっかり重くなった身体がどうにも億劫で、跳び落ちる機会も中々見えず、いつかのように窓から外ばかりを見ているけど。翳り行く部屋の中で。翳り行く、部屋の中で。僕は。

■2010/12/28 『終わるけど。終わって欲しいのだけれど』
 どうやら今年も終わるけど。萎え切った手足と気力もついでにどこかに始末して来られないだろうか。耳を澄まして待っている。僕の手の届かないどこかで何かが始まるのを。でも、そんな予感は期待すら出来ないレベルで何もかもがいつも通りだし、かといってこのわずらわしい何もかもが終わってくれるのかというと、もちろんそんなことも無いのだ。
 戦わない人達と一緒の空間にいて、抗うことも馬鹿馬鹿しくなって。誰の為に、己の為に、もしかしたら目を覆うような痛ましい種類の観念とやらの為に、言葉を失っているのには、本当に疲れてしまった。部屋には嫌な空気が蔓延していて、止まりかけの頭で買ってきてしまった消臭剤は、しかし余計嫌な何かを充満させてしまうのだ。こんな狭い場所に。そして、やがてそれは塗り潰してしまう。こんな、それでも僕が逃げ込める唯一の場所を。
 外には雪が降って、僕は部屋で一人ぼっち。すっかりと埋まった予定を、しかしながらうんざりした気持ちでしか眺められなくなった時、僕は本当の意味で独りになったのだろう。風が吹いて、全ての影を夜の路上から消し去ってしまって、冬の寒さをようやくこの濁り切ってぼんやりと熱を持つ頭の中に捻じ込めた時、僕は、それでもほんのちょっとだけ、笑ってしまうくらいに微かに溜め息をつき、泣く真似が出来た。
 できうれば終わって欲しいのだけれど、僕はまだ何にも掴めていない。間もなく三十になろうとする掌を覗き、そのまま顔に叩きつけてから、まだまだそんな余力がある事を再確認する。確認が終わったら、間もなくまたにじり進む。ああやがて新しい年が来る。新しい年に、僕はまた同じように同じような世迷言を祈ろう。声高に、誰にも聞かれないように、精一杯に、泣いてしまわないように、祈ろう。いつまでも同じ事を愚直に祈ろう。


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